函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第10章 学校教育の発生と展開

第4節 教員の養成と教員

2 函館師範学校への改組とその役割

 17年11月「小学校教則綱領」が改正され土地の状況によって小学校に初歩の英語を加設することが認められた。外国人が雑居している函館では以前から英語の必要性が認められていたため、函館県はこの改正が出るといち早く師範学校に英語科を新設、御用係の野口源之助と山崎清〓を教諭に翌18年1月から副学科として授業を始めた。この英語科新設に関し文部省は、函館の師範学校は「左程ニ進歩セシモノトハ思ハレス、東京デスラ未タ着手セサル」ものを函館には時期尚早であり、今ですら「学科ノ多キニ苦ム程ナルニ、今又英語ヲ加ヘナバ、所謂一モ取ラズ二モ取ラズ」ということになると反対、函館県は「本県ハ開港場アルニ付外国人トノ関係頗ル多シ、故ニ教員タルモノ英書ニ就テ諸学科ノ取調ヲナシ得ル力ヲ有スルノ要用ナルハ勿論、英語ニ通シ居ラサレハ差支ノ事不少、殊ニ函館市街商業ノ如キハ物品ヲ外国人ニ売ラントスルニハ、物名物価等ヲ英語ニテ話スル能ハサレハ差支フルノミナラス、或ハ言語ノ不通ヨリ自他ノ紛議ヲ生スルモ往々目撃スル所ナリ」と反論したが認められず、「内実ハ已ニ実施シ居レリ」と既に1月から英語科を新設している実情を訴え、ようやく同年7月「公然英語ヲ教授スルヲ得ル」に至ったという(明治18年「吉田六等属出京復命書」道文蔵)。
 また同時に外国人を英語の講師として雇い入れようとしたが、文部省は「外国人ノ書ヲ用ヒ外国人ヲシテ教授セシメハ外国人ノ精神ヲ養成スルヤ必セリ、其結果果シテ如何ナルヘキヤ」また「多分ノ給料ヲ出シ外国人ヲ雇ヒ入レンヨリハ、日本人ニシテ之カ教授ニ堪フル者」を雇う方が経済上、実際上良いと反対、これに対し函館県は「外国人ヲ以テ英語ノ教師トナス目的ハ英語読方(レーデング)ノ教授ノ完全ヲ計ル」ためで「決シテ其精神ニ立入ラシムルニ非ス、…且英語読方ノ教授ニ日本人ヲ用フルハ如何ニ熟シタルモノニテモ本元ナル英人ヲ以スルニ如カサルハ信シテ疑ハサル所ナリ、然ルニ今目下閑隙アル外国人アルヲ以テ之ヲ雇入レントスルニテ、一ハ以テ英語科ノ完全ヲ期シ、一ハ得ルニ易キ所ヨリ生セシナリ」(同前)として裁可を願ったが、即裁可を得ることはできず、英語科新設認可から2か月たった9月30日、月給60円・1年以内の条件で、在留外国人のミス・ハミスファ(Hamisfar,M.D.Florence,Miss)の採用がようやく認可された(「太政官公文録」国立公文書館蔵)。ミス・ハミスファはメソジスト系の教会関係者である(『The Japan Directory』1885年)。
 17年11月「小学校教則綱領」が改正され土地の状況によって小学校に初歩の英語を加設することが認められた。外国人が雑居している函館では以前から英語の必要性が認められていたため、函館県はこの改正が出るといち早く師範学校に英語科を新設、御用係の野口源之助と山崎清〓を教諭に翌18年1月から副学科として授業を始めた。この英語科新設に関し文部省は、函館の師範学校は「左程ニ進歩セシモノトハ思ハレス、東京デスラ未タ着手セサル」ものを函館には時期尚早であり、今ですら「学科ノ多キニ苦ム程ナルニ、今又英語ヲ加ヘナバ、所謂一モ取ラズ二モ取ラズ」ということになると反対、函館県は「本県ハ開港場アルニ付外国人トノ関係頗ル多シ、故ニ教員タルモノ英書ニ就テ諸学科ノ取調ヲナシ得ル力ヲ有スルノ要用ナルハ勿論、英語ニ通シ居ラサレハ差支ノ事不少、殊ニ函館市街商業ノ如キハ物品ヲ外国人ニ売ラントスルニハ、物名物価等ヲ英語ニテ話スル能ハサレハ差支フルノミナラス、或ハ言語ノ不通ヨリ自他ノ紛議ヲ生スルモ往々目撃スル所ナリ」と反論したが認められず、「内実ハ已ニ実施シ居レリ」と既に1月から英語科を新設している実情を訴え、ようやく同年7月「公然英語ヲ教授スルヲ得ル」に至ったという(明治18年「吉田六等属出京復命書」道文蔵)。
 直接この件を担当した吉田元利は、後日、雑誌『北海道教育』第160号の中で「(前略)各府県にても英語加設の事を伺出たが、何れも暫く控へよとの御論示を蒙り中止せしが、その中で函館が独り假設でも認可を得、外国人の庸聘の事も共に認可を得たのは痛快の事であった」と懐古している。