函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第10章 学校教育の発生と展開

第3節 中等教育と女子教育

2 商業学校と尋常中学校の開校

 貿易港として開港した函館は、明治10年代にはすでに銀行をはじめ諸会社が並び東北・北海道の一大商業地として成長していた。この商業地函館における商業教育の必要性は以前からいわれており、県時代には私立の商業学校も開校していたことは既述した。こうした商業教育の要望と北海道庁初期の実業教育の奨励によって、函館師範学校廃止後の函館には普通中学校より先に北海道庁立の商業学校が開校することになった。19年の師範学校の廃校にさきがけ、同年6月道庁の藤田理事官から函館支庁長の時任理事官あてに送られた師範学校処分に関する決議案には「商業学校ハ文部大臣モ追々各所ニ設立セシムル計画ノ由ニ有之、貴地ハ五港ノ一、東北地方ト商業上殊ニ関係ヲ有シ、将来ヲ想像スルニ今日ヨリ此校ヲ置クハ必要ト認メ」(「師範学校書類」『函館県(教育)』北大蔵)たと、師範学校廃止後の函館に商業学校を開設する理由が述べられている。
 19年9月17日「商業学校ヲ管下渡島国函館元町ニ設置シ函館商業学校ト称ス、但開校期日ハ追テ告示ス」という庁令庚第14号が出され、12月28日には「函館商業学校規則」が決まり、翌20年1月11日、元町の旧師範学校跡へ北海道庁立函館商業学校が開校した。修業年限は3年、各学年を2期(9月1日~翌年2月23日、2月24日~8月31日)に分け、学期始めに生徒募集が行われた。入学資格は13歳以上の高等小学科第2年卒業以上の者、授業料は月額50銭とされた。校長は東京商業学校出身の葛目(北代)成業、教諭には宮崎言成、尾古謙蔵、森川清、長谷川孝吾、書記には猪狩晋介が任命された(『函商百年史』)。以下主に『函商百年史』によって同校の様子を見ていこう。
 新入生は当時2、3あった私立諸学校の生徒が大半だったという。日増しに生徒も増加し学業も「進歩ノ状況学科ノ適度ヲ視ルコトヲ得ルニ至」(明治21年「北海道庁学事年報」道図蔵)ったが、22年2月構内寄宿舎からの失火により校舎を焼失した。とりあえず仮事務所を向かいの私立函館学校内へ置き、長官出張所構内の建物の一部を仮教場として授業を再開、7月には区内有志の寄付も得て校舎新築に着手、同年末の12月30日、新校舎で落成式をあげた。

第2期卒業生


再築された商業学校

 
 表10-16函館商業学校卒業生の動向
卒業回期123
年(明治)232425
諸会社・銀行へ59115
商家・商店へ1348
公務員11
自営業325
遊学224
その他・未定33
6181236

 『函商百年史』より作成
 
 翌23年4月12日、第1回の全科修了生6名を出した。6名の年齢をみると最高21歳から下は15歳まで、実に色々な年齢の人が机を並べていたことがわかる(4月13日付「函新」)。なおこの修了生を出す前月の3月25日、文部省の告示により函館商業学校は正式に「中学校ノ学科程度ト同等以上ノモノ」と認められた。4月20日には第2回の卒業式が行われ、18名の生徒に卒業証書が授与された(4月21日付前同紙)。彼らの卒業後の動向は表10-16のとおりである。
 翌5月には学校規則の改正が行なわれ、教科を修業年限1年の予科(本科の予備段階)と修業年限3年の本科(商業専門)の2科に分け、通年で4年制とし、本科には修業年限1年の速成科を併設した。また文部省の意向を受け学年の始期を4月1日とし、入学を年1回学年のはじめとしている。入学資格は予科は14歳以上で高等小学第3年修業以上、本科は15歳以上で予科卒業または小学全科卒業の者として資格年齢を上げた。また大阪に新設された物品陳列所を参考に、23、25年と区から管理委託された函館博物場の2館を商品陳列所と改称して同校の付属施設とし活用した。