函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第10章 学校教育の発生と展開

第2節 近代学校教育確立への摸索

3 もう一つの学校教育“慈善教育”


恵以小学校

 
 窮民の子どもを対象にした無月謝の「貧民学校」には前述の鶴岡小学校のほかに、真宗大谷派本願寺北海道慈善会がその1事業とし初代渡辺熊四郎所有の東川町2540に校舎を建築(『初代渡辺孝平伝』)、23年12月10日開校した恵以小学校がある。校長菊地祐章、開校時は簡易科で150名の児童を収容し、28年から3学年の尋常小学校に改め、36年には尋常科4学年に変更になった(河野文書「函館区史編纂資料三」北大蔵)。
 恵以小学校が建てられた東川町界隈は当時「永国橋以東ハ生活ノ度稍低ク、殊ニ東川町西川町等ノ如キハ今日ノ衣食ニ窮スルモノ少ナシトセス、依テ其児童ヲシテ普通小学ニ入ラシムル能ハサルハ怪ムニ足ラス、而シテ是等ヲ督促シテ就学セシムルハ簡易科ヲ以テ適当ナリトス、然ルニコノ方面ニハ只一ノ鶴岡学校(簡易科)アルノミ、故ニ公立簡易小学校ヲ宝学校内ニ開キ、又東川町ニ於テ一校ヲ設ケント計画セシモ、諸般ノ急務ニ制セラレ未ダ其調査ヲ了セサリシ」(河野資料・明治23年「演説書」道図蔵)と、区でも公立の簡易小学校開校の必要性を認めながら新設できずにいた地域だった。この行政の立ち遅れを補ったのが、区民有志や宗教団体の慈善活動だったのである。