函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第10章 学校教育の発生と展開

第2節 近代学校教育確立への摸索

3 もう一つの学校教育“慈善教育”

 表10-13 鶴岡小学校児童数
教員数
児 童 数
男 ・ 女
明治10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27

31
32

35
36
37
38
1(0)
2(0)
2(0)
2(0)
2(0)
2(0)
2(0)
3(0)
3(0)

2(1)
2(0)

2(1)

3(0)




5(1)




   41    2
   51     12
   51     12
   44    7
   47    6
   45    5
   51    0
   62     20
   82     22
   …     …
102     33
   85     19
100     29
   95     25
   …     …
121     60
   …     …
120     59

282
190  104

169     97
183  146
163  146
122  110

 『函館市史』統計史料編より
 教員の( )内は女子教員数
 …は不明をあらわす
 28~30、33~34年は資料欠く
 
 
 32年3月、鶴岡小学校は平田文右衛門ほか27名が社員となって社団法人を組織し、同年8月文部大臣の認可を得た。同校定款によると「無月謝を以て貧民の子弟に普通教育を施す」ことを目的とし、維持は「基本財産の収入及社員の出資」により、管理は「通常総会に於て選挙」された「理事一名監事二名」が行ない社員へ報告することとなっている。初代の理事には平田文右衛門、監事には渡辺熊四郎(2代目)・金沢彦作が就任した。
 翌33年1月、渡辺孝平(初代熊四郎、29年からの隠居名)から学校基本金1万円と校舎敷地として高砂町18の地が寄付され、4月着工、8月19日、新築校舎への移転・開校式が挙行された。この移転に際しても区内はもちろん各地から総額5400余円の寄付金が集まっている。
 歴年の児童数は表10-13のとおりである。区全体の就学児童数に占める割合からいえばわずかに4パーセント前後には過ぎないが、この無月謝の慈善による学校が継続されたことは、函館にとっては大きな意味があったと思われるし、またこのような学校が必要とされたのも当時の函館の一面であった。