函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第10章 学校教育の発生と展開

第2節 近代学校教育確立への摸索

1 北海道庁の教育方針と函館の小学校

 こうして北海道庁時代に入り北海道の教育は大きく改革されたが、実はこれに先立ち函館では独自の変革が行なわれていた。
 20年1月8日、函館区より次のような告示が出された(1月9日付「函新」)。
 
公立  住吉小学校                    
同   東川小学校                    
同    幸小学校                    
同   高砂小学校                    
  右公立小学校ヲ廃止ス
  但本月十一日以後ハ私立ノ資格ヲ以テ開校ノ筈ニ付、従来該校ニ通学ノ生徒ハ同日ヨリ出校スベシ
  右告示ス
   (以下略)

 
 函館県時代の末に6校あった公立小学校の内4校が廃止となり、新たに20年1月から私立小学校として開校することになったのである。公立小学校不足の時にあえて公立小学校を廃止し私立小学校を開校したこの函館区の動きを、明治19年の「学校設置廃合書類」(道文蔵)・「区会決議録」・「区会関係書類」などで追ってみることにしよう。
 19年11月の区会に区長より「公立小学校貸付ノ件」が諮問され決議を得た。諮問の内容は、水道事業の認可を控え、年々増額を続ける協議費を節約するため、協議費の中でも例年1万5000円内外の費用を要する教育費の見直しをしなければならず、「経費ヲ減殺スルト同時ニ教育ノ普及ヲ計ントセバ、現在公立六小学校ノ内左記ノ四校ハ適当ノ人物ヲ撰ミ之レニ貸付シテ私立トナシ、而シテ相当ノ補助ヲ与ヘ、公立小学校ト同シク厳格干渉シテ之ヲ奨励スルニアリ、蓋シ私立学校ニ於テハ利病共ニ公立ニ勝ルモノアリ、故ニ其病根ハ厳密之ヲ制シ而シテ其利源ヲ伸張セシメバ決シテ公立ニ劣ラザルハ、之ヲ既往ノ経験ニ徴シテ確ク信スル所ナリ、加之一タビ如此シテ之ヲ従前ノ私立小学校ニ及ボストキハ、自然一般改良ノ実ヲ奏シ私立学校ノ声価ヲ得テ生徒ヲ増加」(明治19年「区会決議録」・「区会関係書類」)することができる。さらにこの計画を実施した時は、4校が納める授業料の減収を控除してもなお現在の教育費の4分の1以上、すなわち4000円ほどを減少でき、私立の声価も上がり、就学児童も増加し一石二鳥であるというものだった。
 区会の同意を得、「区内小学校在職者中右ニ最モ適当ノ人物」もみつかった函館区は、19年度の途中ではあったが、19年12月23日、「左記四小学校本月三十一日限リ相廃シ、該地所建物書籍器械器具等ハ其者ニ貸与シ、二十年一月授業始前マテ夫々私立小学校設置伺出サセ度見込ニ有之候」という、公立小学校廃止の伺いを函館支庁へ提出した(明治19年「学校設置廃合書類」道文蔵)。
 これに対し函館支庁は、第一に「小学校令」では公立ですら授業料を主としわずかに超過した分だけ協議費から補助するとしているのに、私立に協議費から補助するというのは「小学校令」に反する、第二に私立が公立に劣らないというのは「既往ノ経験ニ徴シテ確ク信スル所」というが、どういう経験からでたものか、第三に何故に私立で維持し得るだけの経費で公立で維持できないのか、という点により、「私立ニスルノ必要ハ認メラレズ」とした。しかしその後、年末押し迫った12月28日「其好結果ヲ得ルヤ否ニ至テハ頗ル懸念セラレ候」としながらも、函館支庁は「区長ノ熱心ニ計画シ、区会亦大ニ賛成致候趣ニモ有之候ニ付、其見込ニ任セラレ候方可然」として廃校案を認可、前述の20年1月8日の告示となったのである。
 こうして年度の途中ではあったが、4公立小学校は私立小学校となった。校舎ほか一切の施設を20年1月から10か年間借り受けた各私立小学校の責任者(出願者)は以下のとおりである。私立幸小学校-川田圭三(山形県士族・元幸小学校長心得)、私立東川小学校-長谷川孝吾(北海道士族・元東川小学校心得)、私立高砂小学校-吉田寛次(岩手県士族・元高砂小学校長心得)、私立住吉小学校-原田直三郎(北海道士族・元弥生小学校訓導)(明治19年「学校設置廃合書類」)。つまり「最モ適当ノ人物」とは大半が元の校長であり、校長がそのまま引き継ぎ私立小学校として経営したのである。
 結局、経費節減のために児童数の少ない4公立小学校を廃校にはするが、廃校のままにしておくことは、ますます不就学児童を増加させることになる。それでは区内の教育水準の向上に力を注ぎ、同時に私立小学校の質の向上も図り、できるだけ学齢児童の収容施設を多くしようという努力を続け(明治19年「函館区役所事務引継書類」道文蔵)、せっかく向上してきた教育のあらゆるものがすべて停滞あるいは沈滞することになる。そこで区内教育の基礎確立まで、協議費から年額1校300円・計1200円の補助金を与えてでも、身元確かな人物に私立小学校として継続経営してもらい、教育の現状をできるだけ維持しようとしたのが、この私立化のねらいだったと思われる。
 では函館支庁が″私立でできるものが何故公立でできないのか″と疑問を投げ掛けているように、何故函館区は公立で維持しようとしなかったのか。それは次の学校別の等科設定と関係していたと思われる。