函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第10章 学校教育の発生と展開

第1節 近代学校教育のはじまり

3 十二年大火後の小学校再興と私立小学校

 15年2月開拓使が廃止され、函館・札幌・根室の3県が設置さたが、函館県は早速、文部省へ稟申し、15年8月28日、県下に翌16年4月からの改正「教育令」の実施を布達した(明治15年「函館県布達達全書」・『函館県学事第一年報』)。以後函館県下の教育行政は、この改正「教育令」および文部省公達の主旨に基づいて行なわれることとなったのである。

明治11年開校の宝学校 北大図書館北方資料室蔵

 
 まず16年3月、小学校の教育課程の基準である「小学校教則綱領」に基づいた「函館県小学校校則」と「函館県小学校教則」が布達された。小学教則によると小学科の教育課程は初等(3年)・中等(3年)・高等(2年)各科の3段階で、初等および中等科は各6級、高等科は4級に分かれ、各級6か月の修業とし、授業時間を1日5時間、授業日を1か年44週とした。また同月学校設置の区域と校数を指定する「学区規則」が布達され、函館は区内44町で1学区(函館学区)となり、初・中・高等全科併設校は3校、初・中等科併設校は7校と指定された。続いて5月には既存の公立小学校の等科を規定し、宝・弥生・函館女子(函館公立女学校を改称)の各小学校は初・中・高等全科併設校、住吉・東川の各小学校は初・中等科併設校となった(明治16年「函館区役所伺届録」道文蔵)、さらに従来単に″○○学校″としていた学校名も″○○小学校″と統一した(同前)。本文でも以後は○○小学校と記述する。