函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第9章 産業基盤の整備と漁業基地の確立

第3節 函館における明治期の漁業

1 漁業生産の推移と漁業組合の結成

 こうした事情の下で漁場紛争は増加する一方で、政府は何らかの対応が迫られていた。政府は、漁業税を府県税にすると同時に漁業の取締りも府県に委ねることとした。そして、実際の漁場統制と取締りは、漁業者の自治団体によることになった。これが、同業者組合準則に基づく組合の結成であり、漁業組合準則の制定である。また、勧業政策の担当機関として14年の農商工諮問会規則(布告第29号)に基づく水産諮問会の確立を図ろうとした。県によっては、この諮問会の設置と同時に談話会を組織している。
 同様の趣旨による水産談話会が、漁業申合規則の認可申請後、17年9月に函館区で開催された。この談話会は、函館県勧業課の資料によれば「明治十七年九月四日ヨリ同六日間函館県元町師範学校樓上ニ於テ本県勧業課員大日本水産会員及ビ管内漁業篤志者等総員四十九名ヲ会同シ水産談話会ヲ開クニ当タリ農商務省御用掛松原新之助氏宮城秋田青森ノ各県下ヲ巡回ノ末、本県水産ノ景況ヲ視察センガタメ来函アリテ、以テ幸ニ該会ニ臨席ヲ請ヒ併テ学術上ノ演説及質疑ノ応答ヲ依頼シタリ、然ルニ予定ノ期日中局ヲ結ヲ克ハザルヲ以テ同七日ノ一日ヲ加ヘ全ク閉場スルニ至ル」(『水産談話会記事』)と記録されている。
 
 表9-44 水産談話会出席者名簿
会頭
書記
書記
書記
書記
書記
書記
受付
受付
説明員
説明員
説明員
勧業課長
勧業課員
勧業課員
勧業課員
勧業課員
勧業課員
区書記
勧業課員
勧業課員
勧業課員
勧業課員
勧業課員
勧業課員
勧業課員
勧業課員
勧業課員
勧業課員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
水産会員
函館区
函館区
函館区
磯谷郡
歌棄郡
芽部郡
亀田郡
久遠郡
山越郡
爾志郡
寿都郡
松前郡
上磯郡
島牧郡
二木彦七
野田寅之進
藤野律蔵
佐藤重吉
熊谷館三郎
徳永勇四郎
大久保達
森下長蔵
細矢包治
有田信
三田巳蔵
井深基
林顕三
細見勝蔵
安木劉太郎
渡部章三
正木弼
蝦子興太郎
山崎弓雄
有明省三
白鳥宇兵衛
田中正右衛門
佐久間千代美
小野兼基
泉藤兵衛
遠藤吉平
山本巳之助
平出喜三郎
大桑藤太郎
久富治吉
小川幸兵衛
伊藤鋳之助
宮内敬信
小野政衛
菊地純次郎
赤石喜三郎
東虎雄
鈴木清兵衛
竹内与兵衛
小橋栄太郎
若山恒道
青木幹兵衛
小泉芳五郎
片岡新
丸山文左衛門
万竹蔵
菊地弥之助
小島六蔵
佐藤伊三右衛門
今津甚蔵
松代孫兵衛
井戸井忠三郎
坂本菊松
三橋善七
田付新太郎
三上伸吾
種田金十郎
志萱喜作

 『水産談話会記事』より
 
 この会の目的は、会頭(函館区勧業課長)の挨拶によれば「本会ノ設ケタル水産上ニ就テ各員ガ常ニ貯フル処ノ宿説ヲ吐露シ互ニ知識ヲ交換シテ実業上ニ有益ヲ与ヘントスルニ外ナラザルナリ」とされ、会員の意見交換が主なものである。また、自主的技術改良の推進と網元層の政治的発言の場として15年に大日本水産会が、17年3月には函館支会が設立されるが、この会の開催される以前に既に数回の水産会が開設されていた。この時に取り上げられた問題は「水産談話会問題 第一 近来水産ノ盛衰如何 第二 種川ノ制度ヲ設クルノ可否 第三 バカ鰯漁業ヲ禁ズルノ可否 第四 鰊竃改築ノ方案 第五 漁業期節ヲ立テルコト(鮑海鼠昆布等)第六 鰊沖揚改良ノ方案 第七 製鰊ノ改良ヲナスベキ方案 第八 水産上ノ問答」の8点であった。また談話会出席者は表9-44の通りであり、総勢で58名であった。
 談話会における「近来水産ノ盛衰如何」についての議論は、鰯・鰊の資源減少と経営困難に集中しているが、その原因の認識については多様である。漁業者および投入漁具の増加、小型魚の採捕、自然環境の悪化等、さらに需要・流通条件の変化による価格低下、品質の悪化、漁業者の無計画経営がより問題であるとの指摘も多い。濫獲を免れるためには海面に規律がなければならず、「近時漁業組合条例ノ設ケアリテ海浜ノ取締粗諸ニ就ケリ…此上漁業条例或ハ漁業律ヲ設ケラレ河海ノ魚族藻種ノ繁殖等ニ付キ厳重ノ取締法ヲ設ケラレンコト」を要請し、また経営困難については貯蓄の奨励と漁業銀行の設立による資金供給が提起されている。
 また、水産談話会の設置は、全国的に明治10年代に入ってから問題化していた漁業秩序の安定化と、対支貿易品である水産製品の品質改良と原料確保が速やかに行われることが期待されていた(前掲「明治初期漁業布告法の研究-Ⅳ」)。このことについて函館の談話会でも次のように取り上げられている。昆布については、多少でも、収穫があれば官に貸与金による保護を申請し、不当の債務を負うものが多くなっている。支那の輸出高は7万石程度なのに対して14万石を生産し、自ら価格および声価の低下を招いている。また、砂付、増量等による品質低下、荷作りの悪化が問題である。鮑についても製法の改善によって評価を高めることが可能である。
 肥料の需要は雨の少ない年に多く雨の多い年に少なく、価格の高低への影響が大きい。また、和船のときは入港する船の多少によって出荷品の価格が変化し、船舶の停中は必ず関西地方における価格が高騰したが、汽船が定期便になってからは買主等は関西地方に電信により連絡をとり低価の時に買収するようになった、さらに、和船の時は売買において品位の良否、荷作りの如何等手数をかけて厳密に授受したが、汽船の売買では出入の時間に間に合うことが大事で品質、荷作りの点検が粗略になると価格低下となり、価格変化の態様が変化している。
 このように漁業者の北上、投入漁具の増加等による生産の拡大、漁業資源の減少に伴う漁業規則の設定、漁場取締の強化が要請されているが、他方で水産物に対する市場条件の変化や、通信・輸送手段、方法の進歩によって価格形成の仕方が変わり、したがって出荷方法の改善がもとめられていた。松方財政下における政策展開のもとで、水産業も転換を迫られており、まさにこうした時代に談話会が開かれ、議論されたのであった。