函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第9章 産業基盤の整備と漁業基地の確立

第2節 諸工業の発展

2 その他の諸工業の動向

生産財工業

 19年に一時休業中であった器械製造所を借り受け、支配人となった田中百松は横浜で製造所を幹理し、鋳物で有名な人物である。経営にあたってから22年までの推移は第9-30にみる通り順調に発展している。21年1月4日の「函館新聞」広告によると、「船用機関造船農具建築其他工業ニ関スル金具ニ至ル迄専門工を置キ…」とあって、従前通りの営業を続けている。その状況を「函館新聞」で拾うと、22年1月には、重量2トンの米搗器械を製造して、青森へ送ったり、同月、汽船宇賀浦丸、凌風丸のスクリューを新調している。そして、5月には金森回漕組の汽船神威丸(143トン・25馬力)の進水式、7月には竣工(代価3万6000円)、試運転があった。
 
表9-30 造船業の推移
名称
器械製造所 造船所 島野造船所 造船所 目黒造船所 国永造船所 岩岸造船所
所在地
真砂町 仲浜町 西浜町 真砂町 真砂町 若松町、有川通 若松町
製品
船舶、諸器械 造船 造船、帆船、端艇造船 船舶 艀、伝馬船、通船 艀荷足、伝馬船
年次\事項価格
(支出金)
職工
徒弟数
価格
(支出金)
職工
徒弟数
価格
(支出金)
職工
徒弟数
価格
(支出金)
職工
徒弟数
価格
(支出金)
職工
徒弟数
価格
(支出金)
職工
徒弟数
価格
(支出金)
職工
徒弟数
明治19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

31

32

33

34

35

36

37

38
9,828
(13,625)
18,596
(18,005)
25,422
(24,598)


焼失・休業中












函館船渠 (株)
分工場














37
5
46
5
62
10
68



80

125

139

207

235

224

277
















8,200
(6,700)
12,025
(11,280)
8,753
(7,024)


6,980
(5,935)


1,760
(1,375)

























20

32

24

18

24

24

10

8
























5,000
(4,900)
5,718
(5,635)
7,242
(7,248)


7,978
(7,725)


5,045
(4,645)
















12,000

1,300

8,500



8,527
15
12
15
12
15
12
15

17

18

15

15















30
1
20

25



6
2
2,500
(2,500)
2,000
(2,000)
600
(650)


3,131
(2,816)





























3
10
6
6
5
3


18

10


























































6,365

4,980

4,360


































11

10

10


































15,000

13,000



7,423

4,227






























30

29



20

16




































2,899

3,015




































10

8

『北海道庁勧業年報』『函館区役所統計概表』より作成
 
 ところが、23年4月3日、失火のため器械製造所は全焼した。焼失後、海面埋立地であった真砂町7番地に新築工事を1万4500円で進め、在来の器械のほか東京より新型器械を取寄せ、技師山尾福三を所長として24年1月には、社名も函館造船所と改称して業務を再開する。1月23日の新聞広告には、「今回更ニ工場諸建築ヲ竣リ鉄製器械を増設ナシ組合ノ組織ヲ改メ資本金ヲ増殖シテ……左ノ諸工事ヲ引受候間……○汽船風帆船ノ新造修繕○海陸諸機関ノ新製修繕○煉鉄鋳物製諸器具……」とあって、右営業組合人名には、日本郵船会社函館支店支配人園田実徳の名前が、それまでの出資者平野富二、渡辺熊四郎、今井市右衛門、平田文右衛門と並んで新しく登場する。つまり、火災を契機としてこれまで念願としていた船渠をもつ造船所を建設しようと各界の有力者に働きかけ、上述の5名の組合組織として再発足したのである。業態は船舶に関する工事が8、9割を占めており、材木の仕入れはイギリス、アメリカ両国からの直輸入か、あるいは横浜商館より購入している。職工は造船部と機械部にわけたが、前掲表9-30でみる通り、24年の80名が27年以降は200名を上回り、30年に買収(価格10万7811円)されて函館船渠株式会社分工場となった時には、277名となっている。
 その他の造船所では、辻造船所は26年まで、続造船所は24年まで、トムソン造船所は前期末まで営業していたようである。仲浜町の辻造船所は廃業後、38年3月まで倉庫として営業していた。そこで、前期より継続しているのは島野造船所のみとなった、島野市太郎は東京の石川島造船所で造船、造機の技術を研究したことで、自ら工場の指揮監督にあたっていた。このほか、新しく造船所を創業した若松町の国永造船所(24年8月、38年4月より有川通)、同じく若松町の岩岸造船所(35年4月)は、艀船、伝馬船の製造が主であった。また、20年3月に船場町で創立して、精米鍛冶場船舶諸機械を製造した目黒万次郎は、29年から真砂町で造船所を開業するが、37年12月に大竹宗政が譲り受け、船場町は函館鉄工場と改称し、真砂町は大竹造船所と称した。これらの造船所の後期の状況を表9-32にあわせて示した。

 
 表9-31 鉄工業の状況
名称
池田鍛冶工場 本間銅器製造所 有江鋳鉄工場 函館鉄工場
(目黒鉄工場)
所在地
豊川町 地蔵町 東川町 船場町
創立年月
安政初年 明治16年3月 明治18年 明治37年12月
(明治20年3月)
製品
鉄物類 銅器 硫黄釜 蒸気機関
年次\事項製造額職工
徒弟数
製造額職工
徒弟数
製造額職工
徒弟数
製造額職工
徒弟数
明治33
   34 
   35 
   36 
   37 
   38 





8,080





8





6,000





4





21,000





11
15,000
6,890
5,390
5,780

24,000
23
19
19
20

45

名称
鉄工場大西機械工場高田鉄工場鉄工場
所在地
汐止町豊川町真砂町台場町
創立年月
明治25年1月明治30年4月明治31年4月明治34年12月
製品
鉄物類 諸機械蒸気機関鉄物類
年次\事項製造額職工
徒弟数
製造額職工
徒弟数
製造額職工
徒弟数
製造額職工
徒弟数
明治33
     34
     35
     36
     37
     38





10,200





10





7,675





12





9,600





13





1,800





6

 『北海道庁勧業年報』より作成
 函館鉄工場の欄の明治33~36年の数字は、目黒鉄工場のものである.
 なお、38年には、上記のほかに、函館馬車鉄道(株)鍛冶工場(所在地東雲町、創立31年1月、製品 客車および付属品、価格312円、職工4人)がある.