函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第9章 産業基盤の整備と漁業基地の確立

第2節 諸工業の発展

2 その他の諸工業の動向

食品工業

 明治20年代には20軒余の酒造家が存在し、清酒醸造石数は千数百石であった。まだ規模の大きい業者は現れていない。本州からは毎年2万石前後の移入酒があり、20年でみると数量では大阪酒30パーセント、越後酒25パーセント、大山酒22パーセント、その他23パーセントであるが、金額では大阪酒(のキ印、千歳印)が高級で41パーセント、大山酒17パーセント、越後酒16パーセント、その他26パーセントであった。しかし、30年代になると、の上記2銘柄を圧倒して、灘、西宮の別銘柄が続々と市場に登場して来る。一方、地酒は26年の23軒が29年には14軒に減少はしたが、30年代には千石造りの規模も現れて、10数軒の醸造軒数ながらも31、2年には4000石余、33年以降は7000石内外を醸造するに至った。38年でみると、酒問屋で醸造もしている丸善菅谷商店が2400石、明治13年創業の東出長四郎が1300石、500石前後が7軒余であった。その状況は表9-25の通りである。ただし、価格は移入酒より低廉で、商業会議所の物価調査では地酒を立物に採用していない。この頃の醸造は9月から翌年3月まで、2000石以上では4、5月までであり、原料米は函館の米穀商を通じて、越後、越中、佐渡米を主として用い、酒桶は秋田杉を用いた。販路は区内が主で仲買人の手を通して道内にも販売している。その際の輸送樽は大阪酒の空樽を使用した。
 
 表9-25 清酒・焼酎の状況(明治38年における製造量・製造額)
名称
岡田酒造場 東出酒造場大久保酒造場 丸善酒造場同第二酒造場成田酒造場
所在地
台町 鶴岡町 亀田村 音羽町 谷地頭 若松町
創立年月
文久2年8月明治13年10月 明治17年10月明治29年10月明治37年9月明治32年8月
事項
清酒職工清酒職工清酒職工清酒職工焼酎職工清酒職工
製造量 石
製造額 円
296
11,345
9
 
1,265
38,097
9
 
245
7,077
5
 
2,377
73,169
13
 
348
11,640
4
 
695
20,727
5
 

名称
塩井酒造場 山本酒造場杉浦酒造場 小山酒造場酒造場 酒井酒造場
所在地
若松町 東川町 小舟町 旭町 鶴岡町 蓬莱町
創立年月
明治36年11月明治37年10月明治37年11月明治37年12月明治38年8月 明治36年10月
事項
清酒職工清酒職工清酒職工清酒職工清酒醤油職工焼酎職工
製造量 石
製造額 円
547
15,848
7
 
338
9,725
4
 
53
1,590
1
 
607
20,031
3
 

14,000
8
 
12
480
1
 

『北海道庁勧業年報』より作成 職工はすべて男