函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第9章 産業基盤の整備と漁業基地の確立

第2節 諸工業の発展

1 函館船渠会社の成立

 

船渠仮開業式 『函館船渠株式会社四十年史』より

 
 安田銀行の融資により船渠は竣工し、付属工場の移転・修築もかなり進行した36年7月28日、仮開業式が挙行された。公私関係の招待来会者440名と第15回報告書に記載されているが、その模様を新聞記事より拾ってみよう。
 
正面より入れば、直に今回落成せるドライ船渠あり、恰も肥後丸(郵船会社社船)の入渠中なりしが、千四百余トンの大船も此処に入りては亳も其大を感ぜず、実に一万頓を容るに足るべき大船渠なりけり……監督技師の事業報告あり次で園田社長の祝辞朗読ありしが、氏の音吐は朗々として少しく薩音を帯び能く場に徹す……
(七月二十九日付「函館公論」)

 
 薩摩(鹿児島県)出身の園田専務の式辞の中には次のような箇所がある。
 
当初三千頓内外の艦船を容るるの設計なりしが、爾来世運の進歩は斯の如き小規模に安んずるを許さず、更に進んで一万頓以上の船艦の修理及建造に適する設計となし……
(七月三十一日「北海タイムス」)

 
 さらに、7月22日付の「函館公論」は、「本工事の着手は明治三十一年六月二十日にして、同三十六年七月二十日を以て竣工せり、其間実に五ヵ年を経過せり、是れ一は海中の施設により埋築のため時日を要せしに因ると雖も、亦た毎年十一月より翌年三月まで約半ヵ年は冬期沍寒の候に属し、コンクリート工事の施設に便ならざりしに由るなり」と工事が遷延した理由にもふれている。
 仮開業式の翌日、渋沢は取締約を辞任し相談役となっている。役員は前掲表9-19のように改選された。
 36年期末の帳簿には、船渠103万円、修船台18万円と計上されるが、前掲表9-16(創業総会までの経歴)の船渠・船架・造船台の目論見価額約56万円の2倍に相当する。後に本州他同業者の船渠に比して著しく高価に過ぎると指摘(『船渠会社四十年史』)されている。また、有形固定資産額は160万円に達して、優に資本金をこえる。財産目録合計額は借入金による資産調達があって、200万円になんなんとする状況である。12月28日には、職制ならびに分課規程が施行せられ、各係員の任命があり、会社の組織は整ってきた。