函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第9章 産業基盤の整備と漁業基地の確立

第2節 諸工業の発展

1 函館船渠会社の成立

 29年2月、港湾改良工事補助金は、30万円を20万円に削減されて議会を通過したが、船渠工事補助金は道庁長官に賛意がなく、また各省予算確定閣議の際に、海軍大臣より提出され、3、4の大臣の賛成があったものの、内務大臣より株式会社に対する無規定の保護は許可すべきではないとの反対があり、遂に採用されなかったと伝えられている。補助金がなければ会社設立を断念する目論見であったが、28年から請願運動に上京していた平田、小川は、渋沢栄一をはじめとする有力実業家と接触した折、補助金下付に関係なく会社設立に援助を与える意向を確かめていたので、2人は帰函の上、28年11月に発起人会が開催された時に、東京の実業家と提携して会社設立する旨を諮り、その方針が確定されていたのである。
 29年2月、東京発起人会が開かれ、さらに発起人を募集すること、従来の補助金下付請願の方針を改めること、資本金120万円の純然たる私設会社として起業することが決議された。そして、前年、函館発起人総会で決議された事項のうち若干が修正され、東京創立委員として渋沢栄一、近藤廉平、大倉喜八郎、園田実徳、阿部興人の5名が挙げられ、函館創立委員の7名と合わせて12名が創立委員となった。
 前年作成された創立趣意書には資本金80万円とされていたが、今回は120万円に修正され、表9-17の如く営業収支が予定された。1か年63万余円の収入のうち、仕事高収入が約40万円見込まれているが、その説明として、「函館真砂町造船所ノ現状ヲ見ルニ、船渠及修船台の設ケナキモ、猶一ヵ年平均七万円余ノ工業受負高アリ、故ニ此ノ如キ完全ナル設置ノ整備スルニ至ラバ、之ニ六、七倍スル工業受負高アルハ蓋シ疑ナカルベシ」と書かれている。そして、資本金120万円に対して、純益は10万余円、1か年9.1パーセントの利益率と予想している。
 以上のような東京発起人会の決議を携えて帰函した平田等は、29年3月、函館発起人会を開き、東京発起人会の決議は承認された。当初は函館のみの発起人会で会社を設立する予定であったが、国庫補助金を契機として東京発起人会が加わり、さらに大阪方面にも発起人を勧誘(阿部興人が担当)する手筈となった。三月の東京委員会で創立委員長には渋沢栄一、創立事務委員には阿部興人、平田文右衛門、小川為次郎、久保扶桑が推薦された。4月には大阪で発起人会が開かれている。4月29日には、農商務、逓信両大臣より発起認可書の下付があった。5月の東京委員会で株式分配が確定したが、株数は函館、東京、大阪等で3等分されている(表9-18参照)。
 かくて6月13日に創業総会を開く準備が完了したのである。
 
 表9-17 営業収支予算

支出
積立金及賞与
純益
 合 計

476,864.50
   46,918.65
109,476.85
633,260.00

収入


合 計

633,260


633,260

 明治29年『函館船渠株式会社創立趣意書』より作成
 
 表9-18 株式引受内訳
地名
発起人数
発起人
株数
普 通
株主数
普通株主
株 数
合計
株主数
株数
北海道
東京
大阪その他
合計
60
24
21
105
6,760
7,440
2,900
17,100
28
27
45
100
785
1,800
4,315
6,900
88
51
66
205
7,545
9,240
7,215
24,000

 明治29年『函館船渠設置之沿革』より作成