函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第9章 産業基盤の整備と漁業基地の確立

第1節 諸工業のはじまり

4 採氷業と中川嘉兵衛

 表9-5 函館氷の販路
年次
売捌高
売価
販売先及び売捌高内訳
トン当たり単価

明治5
t
* 756

14,650

横浜・直売分
横浜・アメリカ4番へ
東京・東京氷室へ

325
40
350
 両
36
30
5
6
1,985
9,279
横浜・158番ブラオへ
横浜・クラクへ
東京・佐藤冬吉へ
1,358
380
250
4円623 平均 
7
1,591
7,381
横浜・158番ブラオへ
横浜・42番クラークヘ
東京・直売分
1,178
292
121
4円639 平均 
8
2,504
11,917
横浜・158番ブラオへ
横浜・4番ベーロヘ
東京・直売分
神戸・
1,206
690
480
200
4円759 平均 
9
1,945
9,252
横浜・アレンへ
東京・直売分
大阪・瀬戸健三へ
土佐・土州病院へ
945
800
100
100
4円757 平均 

 明治5年は「氷売捌高並諸入費略記」(井上馨文書)、明治6~9年は「開拓使公文録」5913
 *は原史料どおりであるが、合計と内訳は一致しない
 
 ところで氷の販路状況はどのような推移をみせたのであろうか。函館からの氷移出量は明治4、5年は前述したが、6~8年は『アメリカ領事報告』(国立国会図書館蔵)によると6年は2031トン(2万310ドル)、7年は1600トン(8000ドル)、8年は2262トン(1万689ドル)となっている。専売権を得たころは横浜が販売の中心であったが、その後は徐々に販路も拡大していった。表9-5は5年から9年までの販売内容である。
 これは中川から開拓使に報告された詳細な販売調書によって作成したものである。横浜での販売が中心であったのは同地の居留外国人や出入港する外国商船・軍艦の需要が大きいことによったのであるが、横浜では直売分を除けばいずれも外国商館に売却されている。なかでも「一五八番」(ブラオ名義)の購入量が他に比べて群を抜いている。ブラオとはブラウァーのことで明治4年から横浜氷会社を経営していた(前掲『明治初期の在留外人人名録』)。彼はシモンズのもとで薬剤師をしていた関係で中川とはなんらかのつながりがあったと考えられる。この他には「四番」これは前述した米国太平洋郵船会社、それに「四二番」がある。「四二番」は前に述べたように中川の軍門に下ったアメリカのボルベッキ商会のことであるが、明治6年からはクラークが経営するようになった。これらの商館は従来輸入氷を扱っていたものが、一転して函館氷を大量に購入して転売するようになったのである。その後は横浜では渡島社という会社が取り扱い一切を行い、外国商人の手から離れて販売されるようになった。
 一方東京においては5、6年は小売営業の共同者であった佐藤終吉への売却が全てであったが、7年以降はすべて中川の直売にかかわるものであった。これは東京での氷普及と販売網の強化によったものと考えられるが、9年の東京販売分をみると函館からの東京出荷は800トンであり、夏期の販売時には65パーセントが消失して残りの360トンが実際に販売されている。100ポンドの価格が平均2円で、売り上げ高は1万4000円にものぼっている。
 こうして東京での比重が増してゆくとともに13年ころからは、後に函館産の氷を「龍紋氷」のブランドで大々的に販売し著名となった山田啓助が直接函館で買い付けして関西方面での出荷も増大していった。これら販路の伸長をもたらした需要拡大の事情を中川は口述書「採氷事業説明書」(『中川嘉兵衛と其採氷事業』)の中で次のように述べている。
 
…営業ノ初年ハ貯氷百パウンド(編注・約四五・三キロ)ニ付五円乃至六円ノ価格ヲ占シモ尚損失ヲ招クコトアリシニ、近年ハ百パウンドニ付僅ニ四、五十銭ノ低価ニ売ルモ反テ幾分ノ利益ヲ得ルニ宣シトス。其需用者ノ増加ヲ概言スレバ畴昔ハ僅少珍奇ノ飲料ナレバ随テ価格モ不廉ニシテ供用スル者ハ纔ニ殿上貴顕ニ止リシモ、当時ハ廉価ヲ以テ数十噸ノ発売ヲ為スモノニ付、官私病院患者ノ治術ニ用ユルヨリ飲食及魚肉蔬菜ヲ蓄フル等ノ便宜ヲ為スニ至レリ。夫如斯上下一般需用ノ普及ニ至リタルハ、即チ貯蓄ノ効用ト便益ヲ衆知ニ知ラレタルモノニシテ、聊カ吾ガ素志ヲ邦内ニ伸ブルコトヲ得タルモノナリ。

 
 ここでは需要拡大の原因を廉価販売に求めているが、この他に本州諸港への迅速な輸送を可能とした国内海運網の整備や需要増と一体で採氷高が順調に増加したこと、また10年3月に東京上野で開催された国内初の勧業博覧会に出品し、龍紋褒章を受賞し、函館氷の声価を高めたことなどがあげられる。明治10年代の函館からの氷移出高は表9-6のとおりである。10年代末では販路も関東市場の東京、横浜を始め横須賀、浦賀、そして名古屋、京都、大阪、神戸、下関と全国の主要都市を網羅した。
 
 表9-6函館氷移出高
年次
数量
金額

明治10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
t
1,407
1,117
2,338
1,730
1,998
3,026
3,188
2,418
3,217
3,802

2,270
2,333
6,907
6,885
9,551
15,132
15,755
7,195
9,260
10,543

 『函館市史』統計史料編による