函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第7章 近代海運の発達と北方の拠点港

第3節 地場海運の勃興と二大海運資本の競合

1 北海道運輸会社の設立

 4月2日に会社定款と定款副則が定められた。資本金50万円(ただし当面は30万円)、営業年限は20年間、指定金融機関に函館の第百十三国立銀行、株主は北海道籍のものを優先させ、役員の大半を北海道在籍者から選出するとあり、地場資本に立脚した会社設立といった意図が反映されている。会社設立の目的を第2条でうたっているが、定款副則はさらに、それを補強して「本社設立ノ目的ハ戴テ定款第一条ニ在リ、北海道運輸ノ便利ヲ拡張スルニ外ナラズ…米塩ヲ初トシ日常凡百ノ物品ニ至テハ概ネ之ヲ他道ノ輸入ニ仰グカ故ニ貿易通商ノ道ハ船舶運輸ニ以来シ航海運輸ノ消長便否ハ直ニ貿易ノ盛衰ニ関係シ其関係ノ大ナル本道人民ハ船舶運輸ノ便利ヲ得テ始テ生計ノ安寧ヲ得ルト云フモ不可ナルナシ…全道各地運輸ノ便本港ノ如クナラサル地方ノ景況ニ就テ之ヲ見バ更ニ此ヨリ甚キモノアラン、又一歩ヲ進テ将来本道ノ進歩ヲ企図スルトキハ到底陸産ヲ増殖シ海産ト共ニ広ク中外ノ需用ニ応セサル可ラズ、而シテ海陸産物饒多ナリトモ運輸ノ便ナクンバ何ヲ以テ之ヲ輸出シ販路ヲ求ムルヲ得ンヤ、余輩現時ノ景況ヲ目撃シ将来ヲ考察スルニ海運ノ拡張ハ当道目下ノ最大急務ナルコトヲ信認セリ」と述べたあと新会社はあくまで海運専業であり、本業以外の業務は行わないとしている。これは三菱が本来業務の海運以外で業種拡張をおこない、結果的に地方の問屋商人等を圧迫している現状を念頭において規定したものである。
 4月2日に定款を決定し、同日、役員選挙も行われた。社長には堀基、支配人宮路助三郎、会議員は常野、村田、泉、小林、安浪次郎吉の6名、この他6月には蛯子末次郎(旧開拓使玄武丸船長、農商務省御用掛)、幹事に園田実徳(同官吏、函館電信局主任)が決定した。堀が社長に選出された直接の理由は不明であるが、14年9月18日の「朝野新聞」によれば、開拓使官有物事件の時、堀は表面にはでてきていないが、事業には加わるとの内約がなされていたという。黒田が開拓使官僚主体で行おうとした事業が世論の反対に会い挫折したため、今度は函館商人を巻き込んだ形でかつての構想を実現しようとしたのではないか。農商務省のスムーズな許可といい、役員構成といい官主導的な性格が色濃い。堀個人は11年開拓使を辞め在野で活躍しており、牧畜会社の経営や小樽では物産会社「大有社」社長と実業界で多方面で活躍しており、海運事業への関心も強かったと思われる。彼の登用もかつての上司であった黒田の推挙があったのではないか。
 社長の堀は就任後しばしば上京し中央での動きが目立つが、会社の実際経営は経済動向に熟知していた杉浦らの会議員がとりしきっていたと考えられる。このための組織として会議員会議というものを定め、「会議員ハ常ニ社中ノ事務ヲ議定スルモノトス」と副則のなかで規定している。
 
 表7-12 北海道運輸会社有力株主一覧
株数
氏名
住所
株数
氏名
住所
200
200
200
200
200
160
150
120
100
100
100
100
100
100
100
100
100
100
100
100
堀基
園田実徳
杉浦嘉七
村田駒吉
藤野喜兵衛
泉藤兵衛
金沢弥惣兵衛
大橋角太郎
時任為基
小林重吉
安浪次郎吉
常野正義
相馬哲平
藤野伊兵衛
吉田三郎右衛門
岡武兵衛
石館兵右衛門
金子元三郎
黒田清隆
松岡譲
札幌
函館





福山
函館




福山

東京
福山

札幌
函館
80
70
60
60
60
60
60
50
50
50
40
40
40
40
40
40
40
深瀬洋春
岩田金蔵
伊藤壽式
小川幸兵衛
林儀助
深瀬鴻堂
脇坂平吉
岩田又兵衛
岩田又七
長谷部辰連
蛯子正煕
宮路助三郎
調所広丈
新栄孫四郎
木下源吉
新谷彦八
村田吉蔵
函館
福山
函館




福山

函館


札幌
函館

新潟

 明治15年『北海道運輸会社事業報告』より
 
 経営陣の体制がほぼ整った4月5日に東浜町の運漕社の一角に北海道運輸会社の事務所が開かれた(なお8月に東浜町15番地に社屋を新築、移転する)。まず株式募集から業務が始められた。函館区内は4月末日、他地域は6月15日と定められ、函館新聞に募集広告が掲載されるが、申し込みは順調に続いたようである。前掲の「願伺届録」で6月までの加入調をみると、申し込み人員は218名、金額は25万3100円に及んでいる。主要株主およびその持ち株数は表7-12のとおりであるが、100株以上の大口株主20名中半数は発起人が占めている。居住地別でみると函館が115名、函館を除く道内からは福山の36名を筆頭に11町村から74名、道外は東京10名、他に6県から応募があった。函館関係でみる上層商人のほとんどを網羅している(ちなみに16年に区内資産者調査がなされるが、この調査に名があげられた商人のほとんどが株主となっている)。地域全体に直接的に利害を持つ事業だけに多くの商人層の関心を集めたということであろう。また前述したように黒田清隆を始め、旧開拓使官吏の名前が多く見られる。大株主が存在しないのは保有上限を定めたためであるが、特定の人間に集中しないように配慮されたためでもある。
 4月中旬ころより、先に貸与許可を得ていた9艘の船舶が次々と会社に引き渡された。6月には、この他にさらに第1~第4石狩丸の4艘が貸与された。4月14日の「函館新聞」は「…荷物運輸も已に所々より申込多きゆえ近々矯龍函館沖鷹の三汽船にて福山、江差、小樽等へ向け開航する都合なりとぞ…」と各方面からの照会が相次いでいることを伝えている。