函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第7章 近代海運の発達と北方の拠点港

第3節 地場海運の勃興と二大海運資本の競合

1 北海道運輸会社の設立

 払下事件は14年末に決着したが、廃使直前に太政官から開拓使へ廃使後の処置についての様々な検討を命じられていた。そのうち旧開拓使官吏への払下げが取り消しとなった付属船について開拓使は廃使直前に人民への払下、あるいは公売に付すとの方針を定めたが、廃使後、農商務省へと引継がれた。
 15年3月10日に常野正義ら13名を発起人とする会社設立の出願書が開拓使残務取扱所に提出され、その責任者である御用掛有竹裕は即日許可を与えた(明治15年「願伺届録」道文蔵)。払下事件に連座したかつての発起人は全て排除され、新たに元開拓使官吏の堀基と東京運漕社社長岡武兵衛が加わった。設立許可を受け、ただちに常野正義は発起人を代表して上京し、時任函館県令の添書を添えて農商務卿に「船舶拝借願書」を提出した(「太政官公文録」国立公文書館蔵)。この願書は前年8月のそれと趣旨は同じであり、三菱を「漕運専制者」ときめつけ非難しているが、これまでの運動の付属船払下げから貸与へとトーンが一段後退している。この間の状況変化の理由は不明であるが、後述するように政府部内では反三菱という観点で海運会社の創立を意図していたため、政府指導のもとで貸与という方向転換をさせられたものであろう。この願書に対し農商務省は3月23日に許可を与え、汽船は玄武丸、函館丸、矯龍丸、沖鷹丸と帆船の乗風丸、千島丸、単冠丸、西別丸の計9艘が当分のうちという条件で貸与されることになった。
 さらに同月中に8項目の命令書が出された。主なものとして、(1)北海道地方の運輸の便益を目的とするものであるから、運賃は従来通りとすること、(2)農商務省所属乗組員の俸給および諸経費は一切会社負担、(3)借用料は各船ごとの純益の100分の3とし、農商務省に上納のこと、(4)海運拡張のために貸与を許すのであるから当省の指令に従うことなどであった(同前)。