函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第7章 近代海運の発達と北方の拠点港

第2節 三菱会社の北方進出

1 政府の海運政策と三菱会社

 三菱では函館への開航にあたり現地での貨客の取り次ぎ業者を必要とした。三菱の汽船は8年1月に初入港しているが、この時函館の河村六二郎は三菱の指定貨客取扱業者として指定され、13箇条におよぶ「函館廻漕創業手続書」を交わした(『三菱社誌』第1巻)。
 この手続書でまず河村を三菱の出張所として指定し、その条件として月に1万石の積載貨物を確保すること、集荷不足の場合は弁償すること、その対価として貨客運賃の5分(5パーセント)の口銭を支給すること、また河村とは別の斡旋業者の集荷に対してはこの口銭とは別に5分の口銭を支払うこと、出荷増大のために荷為替に取り組むこと、三菱は他の汽船とは異なり外国人乗組員を採用している等運航経費を余分に費やしているので、碇期限を厳守することなどを定めている。函館では河村の他に同年の2月には廻船問屋佐藤忠兵衛とも同様の契約を交わして三菱の指定業者としている。なお9年に横浜で三菱が同地の回漕問屋と交わした契約と比べて集荷義務を月1万石と定めているなど相当条件が厳しいものとなっている。その後河村も佐藤も三菱の指定業者から手を引いているのも条件の過酷なことによったのであろう。後には多くの回漕業者を三菱の傘下に組み入れるが、そのさいには条件を緩和して約定書を交わしたと考えられる。
 同年5月14日、本社から運用課事務長の池添権平が着函し、19日に三菱の指定業者でもあった佐藤忠兵衛宅を借りて支社を開設した。その後内澗町48番地の武富平作の持家に移り、そして12月には同じ内澗町34番地の旧郵便蒸気船会社出張所を駅逓寮から払い下げられて移転した。同所は税関も近く営業場所としても第1等地であった。支社の陣容も9年末には11人となり、その後も営業拡大に伴い人員は増加していった。