函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第6章 内外貿易港としての成長と展開

第4節 貿易通商圏の拡大

2 日本昆布会社の設立

 他方、昆布の輸出先となる上海の営業状況をみると、初めて輸出する明治22年には、創業後間もなく資金手当の困難から集荷した昆布を、函館の清国商人、震泰号、徳新号、慎昌号らに売却することを試みた(前出「昆布販売顛末」)。しかし、交渉に失敗して、三井物産の援助を受けることになり、同社の資金の提供と上海における販売業務の委託についての契約(明治322年9月「昆布会社対三井物産会社契約条款」三井文庫蔵)を結び、三井物産に上海における販売業務を委託した。契約書には次のような事項が決められていた。
 
(1)日本昆布会社は北海道で集荷した清国向け昆布総ての輸出取扱いを三井物産会社に委託すること。
(2)昆布の商談には日本昆布会社の主任が当たるが、その際必ず三井物産上海支配人に協議すること。
(3)三井物産会社は、販売代金回収にかかわる一切の業務を負担すること。
(4)三井物産会社は、日本昆布会社が輸出する昆布1万石までに対して、上海相場で概算して7分の前貸金を承諾し、その内から運賃諸掛り立替金を引き去り、函館日本昆布会社に送金すること。
(5)前貸金は昆布販売代金により返済するものとし、価格低落により不足を生じた時は抵当または内金を入れること。もしその差入れがない時は、物産側が自由に売却し元利貸金を回収し、なお不足があれば昆布会社側は速やかにそれを支払うこと。
(6)前貸金の利息は年8歩とすること。
(7)三井物産会社は取扱手数料として売上高の100分の2を受け取ること。

 
 この契約に基づき昆布会社は、三井物産上海支店内に同社の支店を置き、赤壁二郎を支配人として派遣し、昆布の販売業務に当たらせることになったが、契約書にあるごとく、営業の実権は物産側にあったようである。こうして上海における日本昆布会社の昆布販売の独占体制は一応出来上がり、昆布相場に大きな影響をもつようになったが、このことについて当時の新聞は、「上海昆布景気上向き釧路、浜中二両三匁五分、上物は殆ど日本昆布会社の占有の姿にて中々上景気なり」(明治22年10月10日「函新」)と報じている。またこの間の事情を函館税関長は次のように報告している。
 
二十二年秋ヨリ二十三年三月ニ至ル日本昆布会社上海販売ノ景況ナリトテ報ズル処ヲ聞クニ二十二年九月同会社ノ初メテ昆布上海ヘ輸送スルヤ市価頓ニ百斤ニ付二匁余ヲ昇騰シ延テ十月ニ至リ追々時季ノ秋冷ニ赴クニ従ヒ北洋凍氷前ノ貿易日増ニ捗取リ大ニ売額ヲ増進シタリ。此際清商等同会社ノ業務隆盛ニ向ヒ多年壟断シタル私利ヲ奪ハレンコトヲ恐レ且ツ其基礎並ニ資力ノ堅固ナルヤ如何ト疑ヒタルモノノ如ク陰然合従同盟シテ同会社ノ貨物ヲ買崩サント計リタリシカ同会社ハ之レニ対シテ持久策ヲ運ラシ競売ヲ止メ双方白眼合ノ姿ニテシテ市面ハ一時沈静ノ観ヲ呈セシガ十一・十二月ノ交、社外ノ昆布殆ド皆無トナリシニ恰モ好シ弥々北洋結氷ニ際シ仕舞荷ヲ送ルベキ季節ニ押詰リ加フル長江筋ノ銷路漸次繁閑ニ赴キ商情将サニ振起セントスルノ機アリシヨリ清商等ハ之ノ防圧スルノ策ナク逆ニ競フテ買進ミシヨリ市況大ニ引立チシ爾来十二月中旬北洋氷塞ノ後モ長江筋ノ銷路流暢ニシテ毫モ気配ヲ損ズルコトナカリシ
(明治二十三年『外国貿易概覧』)