函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第6章 内外貿易港としての成長と展開

第3節 外国貿易の展開

4 広業商会の設立

 さて明治前期の2大商社であった成記号と万順号のそれぞれの中心人物で長期間函館と係わりを持った人物について点描してみよう。1人は成記号の潘延初と、もう1人は万順号の張尊三である。

張尊三


潘延初

 潘は1850(嘉永3)年に浙江省の安徽県に生まれている。16歳のときに行商をはじめたが失敗し上海の輸出商成記号に入社。20歳で神戸の出張所の店員となり、3年間勤めた後再び上海本店詰めとなり数年を本国で過ごした。おりしも函館出張店にいた叔父の潘二泉のすすめもあり明治8年に来函した。前述したように明治9年にはハウル社中-成記号の帳面方を勤め重手代の袁錦濤を補佐している。その後成記号の撤退により独立して12年ころに同じく成記号の蔵掛であった李長寿とともに慎昌号と称する合名会社様の商店を組織し、海産物貿易を営んだ(『北海道立志編』、「各国官吏来翰検印録」札学蔵、「籍牌書類綴」)。慎昌号は前述したように広業商会の最盛期には事業縮小といった事態に面したが、その危機をのりこえて明治20年代には函館を代表する商社となった。
 潘よりも早く来函したのは張尊三であった。彼は1845(弘化2)年に潘と同じ浙江省の寧波に生まれ、16歳の時に寧波の外国貿易茶舗の某館に入り商業に従事した。その後本国の税関の職員となり日本の事情に通じるところとなり、26歳-明治3年に函館に来航し、万順号の帳場として勤務し、支配人の楊厚載を補佐した。『北海道立志編』によれば万順号に数年いて神戸の栄新号に移り、さらに函館に戻り尊新号に入り、29才の時(すなわち明治7年ころ)一時帰国したが、再び来函し公泰号に入り、34歳(すなわち明治12年ころ)に独立商店を開いたとある。帰国前後の動向は他史料では確認できないが、9年12月現在では依然として万順号の店員である(明治9年「諸課文移録」道文蔵)。9年の「諸課文移録」には江玉田が得記号の代表者であり、13年の「籍牌書類」では得記号は張尊三、江玉田(以上は籍牌規則でいう上等)、周芝、張芹生で構成されているとこから、張尊三は万順号を退社して得記号に入り江玉田と共同経営するものとなったと考えられる。15年には得記号から離れ裕記号を作り、その後の18年の史料には徳新号のメンバーとして名を連ねている。この徳新号は上海本店の海産商であり、彼はその函館支店長であった。