函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第6章 内外貿易港としての成長と展開

第3節 外国貿易の展開

1 明治前期の外国貿易の概観

 それでは函館からの輸出品の品目構成はどのようになっていたのであろうか。表6-20は主要輸出品の一覧であるが、昆布刻昆布煎海鼠干鮑、鯣の海産物でその総数を占めており、その割合も50パーセントから70パーセントの範囲であった。海産物は清国(上海・香港)に輸出された。主要輸出品の推移は海産物中心に展開するが、3県期になると鉱産物の比重が幾分高まる。輸出品を個別でみると昆布がたえず首位の座を占めている。輸出金額に占める割合は40パーセント台から70パーセントの間であり、特にこの期間は60パーセント台を占める年次が多い。昆布は外国貿易品のみならず国内、主に関西市場行きのものもあるが、輸出用と国内市場とでは品質に違いがあった。輸出用の昆布長切昆布で主産地は根室をはじめ日高、釧路産が多い。清国市場における昆布の用途に関し「清国民ハ昆布ハ炭毒ヲ消スノ効アリト称シ需用者ハ其大部清国ノ中流以下ノ社会ニシテ中流以上ハ多ク之ヲ食スルモノナシ従ッテ其売行先キハ都会ヨリハ寧ロ地方山邑農村ヲ多シトス」(『清韓貿易視察報告書』)とあるように特に塩分の欠乏しやすい中国の内陸部での需要が大半を占めた。明治元年に函館で清国商人が大量に買い付けするようになって昆布の輸出量は2万石台へと増加する。また買い付けが活発化するなかで価格も高騰するが生産量も増加し、今度は価格が低落ということが繰り返された。明治6年に対前年比で1.8倍にもなり清国市場に滞貨し翌7年では大幅な価格低落があって生産者の廃業や上海昆布商人には破産するものも現れた。10年代のインフレ期には半官半民の広業商会が設立されて豊富な資金投下により輸出量・額ともに順調に増加しているが、3県期の不況期に突入すると減少傾向を示した。18年以降は回復のきざしが見えた。この昆布を巡る状況に関しては後に詳しく述べる。
 
 表6-20 主要輸出品
年 次
総  額
その他海産物
硫   黄
そ の 他
数量
金額
数量
金額
数量
金額
数量
金額
数量
金額
数量
金額
数量
金額
数量
金額
明治 2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
425,997
400,774
434,053
338,946
437,537
265,089
395,997
473,835
483,047
722,299
692,524
749,262
843,628
508,088
436,750
378,913
684,898
673,548
7,939,691
7,195,594
9,868,154
7,113,044
13,186,691
11,998,441
11,355,107
16,383,723
15,769,580
19,616,994
20,956,618
20,938,739
24,621,821
19,535,110
15,686,939
14,082,890
19,891,505
23,462,010
308,387
265,134
324,798
156,487
245,911
143,342
225,877
323,664
318,145
440,590
526,248
523,007
605,633
348,321
204,078
263,804
455,169
448,003
164,931
99,982
136,626
222,152
498,769
285,323
523,635
252,384
491,397
566,600
584,300
741,800
930,950
820,750
767,450
612,450
540,450
792,105
11,171
6,082
7,279
8,220
13,616
8,844
15,995
6,767
18,179
20,170
24,301
38,789
39,447
28,641
25,486
20,333
17,071
23,990
91,713
81,364
58,698
188,827
205,681
155,102
146,677
195,266
155,414
176,086
137,367
187,862
232,202
233,748
250,117
157,026
218,576
228,573
37,052
42,936
29,108
94,414
107,049
66,301
71,550
83,370
59,447
65,868
58,329
106,659
141,097
101,977
77,786
38,817
70,687
74,147
177,093
121,525
134,403
153,282
163,010
85,735
160,498
41,567
75,622
107,628
47,878
7,026
6,654
3,779
2,009
1,086
1,484
6,258
37,053
44,713
50,752
38,320
39,401
18,813
41,403
10,420
20,722
29,810
14,450
2,234
1,996
755
757
261
415
1,364
108,706
159,738
138,680
288,498
127,188
115,568
181,474
94,396
264,762
237,189
307,292
377,937
196,425
161,485
430,829
170,430
335,254
506,714
16,643
18,926
15,817
28,850
12,377
9,950
21,429
7,018
30,868
26,639
51,227
54,583
24,491
19,483
38,956
14,675
35,704
43,550

















5,330
13,934
775
3,584
3,989
957
1,400
19,841
11,256
108,735
10,053
4,088
18,221
2,225
853
256
215
677
4,000


214,705
796,173
1,111,929
676,08
1,042,322
201,413
1,158,054
545,012
600


6,912,049
2,641,523
8,373,531
5,703,152
48


2,147
11,441
13,759
8,930
16,414
2,417
12,949
5,341
6


78,243
25,057
86,584
43,550

















10,313
9,049
5,524
6,924
3,753
3,123
9,413
6,341
22,013
17,538
2,575
19,896
12,743
6,686
10,591
15,710
19,053
38,267

 『函館市史』統計史料編より作成.
 
 刻昆布は開港以前の嘉永年間から函館で製造されていた。明治の初年代は数量の増減を繰り返しているが、10年代に入ると輸出量は増加するが、3県期には減少している。刻昆布は横浜、神戸、大阪でも製造されたが函館産は品質が良好であり清国市場では歓迎された。

長崎俵物 左から、煎海鼠、、鱶鰭干鮑 中華会館提供

 昆布類に次いで多い品目は干鮑煎海鼠、干鯣の3品で、これらはかつて「長崎俵物」と称されていたものである。煎海鼠の産地は全道各地に分布しているが生産額は増進しないで、また年による商況には大きく変動があった。干鮑渡島地方から日本海側に産出し、増毛と小樽産が上等品とされた。道内の生産量は増加しているのであるが輸出量は反対に減少傾向を示している。12年の函館大火により広業商会の所持していた10万斤余の干鮑を焼失したこともあったが、その翌年から急激に減少していった。干鮑の需要地は香港を中心とする広東省とその近隣地域であったが、従来は函館から上海へ輸出し、上海から香港方面に分輸していた。ところが横浜の清商が高額で買取るようになり、まずは国内移出品として横浜に送られ同港から香港に輸出されるようになった(『イギリス領事報告』国立国会図書館蔵)。また、こうした事情の変化を函館から香港への航路が不便であったからであるとする説もある(『北海道漁業志稿』)。鯣は渡島産が主で、後志産がこれに次いでいる。また青森産のものが混在して輸出されている。輸出は増加しているが、品質は九州産のほうが輸出品として優れていた。鯣の用途は上海から長江一帯にかけた民衆の常用食であった。これらの清国向け商品は函館から上海に輸出され、上海から清国各地へと転輸された。
 海産物以外のものとしてはまず硫黄があげられる。産地は恵山、古武井、岩内、釧路、斜里、国後等であった。輸出先は大半がアメリカであるが、時には清国に輸出される場合もあった。硫黄は幕末に輸出した実績はあるが、それはわずか2年間にとどまっているのに対してこの時期はほぼ連年輸出されており、特に3県期には道内の硫黄生産の増加を背景として輸出量、金額も顕著な増加傾向をみせ、明治後期には主要輸出品の一角を占めるようになる。16年の『イギリス領事報告』では次のように述べられている。
 
硫黄は全てがサンフランシスコに積み出されているが、品質はそれ以前の輸出品と比較してはるかに良質であり、主として国後産のものであった。当時の硫黄は釧路、斜里産のものが北海道ではもっとも良質の製品であり、国後産はそれよりは劣っていたと述べて、さらに翌十七年に関してはニューヨークに向けて一度直輸されただけであり、従って輸出量は低下した。その原因として国際価格が低下していたにもかかわらず本道産のものは非常に高く、シシリー産のものと競争することは不可能であろう。

 
 この当時イタリアが硫黄の最大産地国であった。18年はメルボルン、ニューヨーク、サンフランシスコに、19年はニューヨーク、サンフランシスコに輸出された。用途としては主に製紙、硫酸製造、漂白剤等の工業用に利用された。ちなみに明治12年度「函館商況」(『函館市史』史料編第2巻)ではこの硫黄輸出に触れて「将来輸出品ノ重要タルコト疑ヲ容レズト雖ドモ、未ダ販路ヲ拡張スル能ハズ、只米国桑港(編注・サンフランシスコ)ニ輸送スルモノノミ。而レドモ数千里ノ海上ヲ運送スルガ故ニ、大ニ元価ヲ廉ニセザレバ輸出ヲ盛大ニスルニ至ラザル可シ」と述べて将来有望な輸出品となることを見通している。この商品は函館在留のイギリス商人が主に扱ったようである(『勧商局雑報』)。
 その他の輸出品としては鹿角が連年、毛皮が6年以降は毎年、石炭が若干の年に輸出されている。石炭は19年に輸出額が伸びている。幌内炭鉱の製品が小樽を経由して函館に移入されたものが、函館入港の軍艦と外国汽船に売られたものである。鹿角も幕末から薬用として清国向けとして輸出されているが、乱獲によって、この時代の末期は絶滅に近い状況を呈して輸出が激減少した。
 
 表6-21外国商船による輸・移出入価額

年 次
海 外
国 内
総  計
輪出
輸入
移出
移入
明治 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
360
263
87
292
234
550
281
351
777
442
689
693
749
844
6
43
58
16
22
16
18
28
27
0
0
4
270
128
366
306
145
308
256
566
299
379
804
442
689
697
1,019
972
81
727
630
204
417
39
35
45
7
0
0
0
0
208
746
483
167
260
33
43
39
17
15
26
0
0
289
1,473
1,113
371
677
72
78
84
24
15
26
0
0
441
990
717
496
651
589
316
396
784
442
689
693
749
214
789
541
183
282
49
61
67
44
15
26
4
270
655
1,779
1,258
679
933
638
377
463
828
457
715
697
1,019

 各年『イギリス領事報告』(国立国会図書館蔵)より作成.
 単位未満は4捨5入.…は不明.
 
 ところで表6-21は在函イギリス領事の報告した外国商船の輸送に係わる明治元年から10年までの函館の貿易の推移表であるが、これは函館・外国間の輸出入と、函館・国内開港場間の移出入の2本立てとなっている。日本側史料により作成した表6-19とこの直輸出入を比較すると、特に輸出はかならずしも一致しない。この点についてイギリス領事ツループは4年、5年の報告で輸出入表は函館に在留する外国商人から提供を受けて作成しており、日本人の荷主が外国船に船積した商品については不明ではあるが、外国商人による外国商船の貿易に関した報告は正確なものであると強調しており、税関当局者から年間の貿易報告書を入手したが、非常に不完全なもので役に立たないと述べている。また報告書には輸出入税の表記も掲載されていることから領事のデータは信憑性は高いと思われる。外国商船によるこれらの輸送に関する表記が「DIRECT TRADE」あるいは「INDIRECT TRADE」とあるところから、輸出の場合でいえば外国商船が函館で購入して国外や他の開港場に輸送して売却する場合、あるいは単に運賃輸送の場合、さらに後者の運賃輸送の場合には外国貿易品以外の輸送も含まれてくる。日本側の史料との食い違いの理由はこうしたことと関連があろう。従って日本側の資料は最終的に通関手続きをして一旦他の開港場-それらの大半は横浜であるが-に移出したものを輸出品に含んでいると考えられる。