函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第6章 内外貿易港としての成長と展開

第3節 外国貿易の展開

1 明治前期の外国貿易の概観

 表6-19 函館・全国貿易額の推移
年 次
函  館
全  国
輸 出
輸 入
輸 出
輸 入
明治 2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
426
401
434
339
438
265
396
474
483
722
693
749
844
508
437
379
685
674
2
2
20
8
17
16
38
20
15
13
4
222
128
7
4
5
7
16
428
403
454
347
455
281
434
494
498
735
697
971
972
515
441
384
692
690
11,476
15,143
19,185
24,295
20,661
20,165
17,918
27,579
22,867
26,259
27,373
27,420
30,327
37,236
35,709
33,077
37,147
48,876
17,357
31,120
17,746
26,188
27,443
24,227
28,174
23,969
25,901
33,334
32,604
36,622
31,033
29,168
27,849
29,382
29,357
32,168
28,833
46,263
36,931
50,483
48,104
44,392
46,092
51,548
48,767
59,594
59,977
64,042
61,359
66,404
63,558
62,459
66,504
81,045

 函館分は『函館市史』統計史料編、単位未満は4捨5入.
 全国分は『横浜市史』第3巻下による.
 
 ここでは明治2年から同19年までの函館の貿易を概観してみよう。表6-19のとおり輸出入総額は明治2年から19年の間をみると10年までは30万円台から40万円で推移し、やや横ばい気味であるが、7年には26万5000円とこの期間では最低の数値を示している。ところが明治11年以降4年間は急激な増加傾向をみせて、貿易額は70万円台と伸びている。これは11年の輸出で清国が凶作であったために在留清商が競って買収して米穀を輸出したこと(10万円余)や昆布輸出の増加によったものである。この米穀輸出は函館の場合は単年度で終わっている。この年以降ではピーク時の13、4年で90万円台となる。
 こうした動きは後述するように政府保護の貿易会社である広業商会の設立により昆布生産に資本が投下され、その結果輸出の増加をみたものであった。ところが14年末からの不況により外国貿易もにわかに不振となり、15年から17年にかけて減少傾向を示した。しかし3県期の後半には次第に回復のきざしがみえはじめ、18、19年は60万円台にもりかえしている。表6-19のように、わが国全体としては14年まで輸入超過、15年以降は輸出超過へと転ずるのに対して函館の場合は一貫して輸出超過の状態であった。それは函館の輸出は大半が清国向けのものであり、清国から当港に輸入すべき物産に乏しかったこと、また本道において需要の外国製品の多くは欧米の生産物であり、それらは主に横浜経由で移入品として入ってくるため表面上では絶えず輸出超過という状態が続いた。
 函館の輸出は後述するように昆布をはじめとする海産物中心の特性を有していた。海産物以外としては硫黄、鹿角、毛皮があげられる。また海産物は全てが函館から輸出されずに、時にはその一部が函館から横浜に移出され、横浜から輸出される場合もあった。海産物を中心とし、かつその市場が清国に集中するという特性は開港以来、函館が持ってきたものであり、明治前期においても海産物輸出港としての函館の機能と特性は開港以来一貫して継承している。それは言うまでもなく函館が道内の生産物の集散基地であったことによる。そしてこの特性は明治前期では一貫して失われことのないものであった。また特にこの時期は昆布市況の変動が函館市場における外国貿易を規定するといっても過言ではない。従って明治前期の貿易は昆布輸出の流通過程と、その担い手の展開が中心となる。
 一方函館の輸入については13、14年を例外として他の年次は数千円からせいぜい3万円台を上限として推移している。その主な輸入品は繊維製品と砂糖類に限られていた。13、14年に関しては官用の輸入品であり、開拓使自らが輸入している。しかし前述したように函館は横浜経由の輸入品市場として相当程度の搬入が見られた。ちなみにこの期間における函館の輸出入の貿易額はわが国全体の貿易のなかでは14年の1.5パーセントが最高で、7年の0.63パーセントが最低値である。幕末の函館港の貿易額の対全国の構成比は2~5パーセントであるので、函館の占める位置はむしろ低下しているが、輸出額は増加しており、海産物の輸出港としての特性にはみるべきものがあるし、また輸入品も統計上では直輸入が少ないため、輸入港としての特性はないように思われるが、外国製品の消費市場として一定に位置を占めていた。