函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第6章 内外貿易港としての成長と展開

第2節 港湾商業都市としての成長

1 国内流通の伸長

 明治20年3月の勅令第6号による水産税の軽減・金納化、出港税の廃止が、函館の商況に与えた好影響については、すでにみたとおりである。両税とも松前藩の時からの旧習を踏襲したもので、水産税は、場所請負人が場所内に入漁する漁業者から徴収した二八取役金に、出港税は沖の口役所で出入物品に課した沖の口口銭問屋が徴収した問屋口銭に起源をもつもので、開拓使によって再編成されたものである。税額に変遷はあるが、水産税はほぼ1割から2割、出港税は4歩口銭といわれ、4パーセントであった。
北海道ノ経済ハ重モニ環海沿岸ノ水産ニヨリテ維持セラルゝモノタリ。今マ北海道庁ノ報告ニ徴スルニ、各水産物ノ産出総高ハ年々五百万円ニ下ラズ。其ノ該道租税ヲ負担スル割合ハ、明治十六年度国税地方税並協議費合計百弐拾八万九千余円ノ内水産物ノミニテ(出港税ヲ併セ)百〇弐万八千余円ヲ負担シ、明治十七年度同九十七万四千余円ノ内六十四万八千余円ヲ負担シタリ。是モ亦タ其ノ北海道各物産ノ中ニ於テ最モ重要ノ地位ヲ占ルコトヲ見ル可シ。故ニ若シ当然事物ノ関係ヲ以テ之ヲ推サンニハ、斯ク重要ナル物産ニヨリテ営業スル者ハ、宜ク其利獲多クシテ因以テ其財産ヲ起スベキニ、今ヤ然ラズ、却テ其財産ヲ破ル者相踵グヲ致シ……
(「井上馨・山県有朋北海道巡視意見書」『新しい道史』30、31号)   

 
 
 といわれるように、北海道の租税負担の大部分は、漁業者、および水産物関連流通担当業者が担っていたのである。両税が漁業者、および流通担当業者を圧迫していたのは、単に重税であったばかりではなく、煩雑な手続を必要としていたことにもあった。
 水産税は、金納ではなく、現物納、すなわち現品税であったため、第一に収穫高の検査に多大の労力と時日を要し、生産品の腐敗、損傷を招くこと、第二に空しく時日を要している間に収獲物の積出しの時期を失い、あるいは風波荒き時節に高運賃で積出さざるをえなかったりして二重、三重の損失を蒙ること、第三に納税品は最上のものを調整・荷造りして納めなければならないため、それに要する労力と調整・荷造用の塩、俵、樽代に少なからざる費用を要する上、納税品を輸送し、官庫に収めるまで生産者の責任とされたこと、等々の負担を負うものであった。一方、旧幕時代の遺産ともいうべき原価の4パーセントの出港税は、他府県では全くみられないものであり、北海道から他府県に積み出す物品の大部分が水産物であってみれば、水産物に対して水産税と出港税の二重の課税をおこなっていたことになる。また、生産地から積出す時に、その積出地の立相場で出港税を支払ったとしても、仲継港である函館に入港し、積荷の一部でも陸揚した場合には、その品物の全部を函館の相場で再計算し、積出港より高額の場合には、差額を徴収したし、外国商人の場合には条約によって出港税は免除されたので、我国商人が昆布などの輸出水産物を取り扱うのに、はなはだ不利益をこうむった。両税は、道産水産物の円滑な流通を阻害する大きな要因だったのである。
 明治21年5月26日付「北海道毎日新聞」の「水産税軽減及出港税廃止後の各郡区実況」が「函館区に於ては二十年中昆布を除き他の水産物の価額稍々騰貴したるを以て、漁業者の収益は勿論各商業者に於ても其余沢を被むり、同年の商況は一般好景気なりき。只嚮に該税則の改正あるや各生産者は現品出入上自由を得ると共に製造の速成を欲し、漸次粗悪に流るゝの傾向ありしは有志者の実に憂て措かさる処なりき。又貨物陸揚・積入れ共納税検査の煩を省き、荷造改良方の点検方をも廃されたるを以て各港回漕上大に利便を得、爾来船舶出入は一層増加したる姿なり。是れ即ち水産物出入の自由を得たる徴証なりと。而して容易に現品の輸出を得るを以て冬期現物を産地に貯蔵する不便なく、尽く之を同港に回漕して市場に販売するの有様なり、実に其利益の大なること、従前の比にあらざるなり。然れども旧税則施行の時は輸出入物品及船舶出入共調査し易かりしも、今日廃税に際し之か調査の道を失うの歎きなきにあさされは、其筋に於ても深く此調査方法を講究し居らるる事(な欠カ)れは、本道商業上の大主眼とする貿易上の調査を為すに難からさるへしといふ」と伝えているように、水産物製造が粗悪に流れたり、移出入物品や船舶出入などの商業調査が難しくなるなどの欠点もあったが、水産物の回漕、陸揚げ、積出しの自由が保障されたことにより、船舶出入が増加し、産地から函館への水産物の回漕も、円滑に進んでいたことを知ることができる。ここに水産物の集散を中核に、仲継商業港として発展する函館の基礎が築かれたともいえよう。