函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第6章 内外貿易港としての成長と展開

第2節 港湾商業都市としての成長

1 国内流通の伸長

 松方蔵相が推進したデフレ政策下の深刻な不況は、兌換制度の実施により紙幣整理が一段落したことなどにより、明治19(1886)年を境に回復にむかったといわれる。しかし、この19年の函館の商況は、引続いての水産物の売行きの停滞と夏季におけるコレラの流行により不振のうちに推移し、ようやく11月下旬より回復の兆がみえ、市中の小取引もやや活発化したにすぎず(『函館区史』)、翌20年の新春も、かならずしも明るく迎えることはできなかった。「函館新聞」所載の「明治二十年中函館商況一班」(明治21年1月11日付~同年2月19日付)が、「昨二十年の一日は、函館、根室両支庁の廃止改革を受け、市中は禅寺の本堂へ入りし如く寂として声なく、官民共に悄々然として生気なく、活動せざる人形と一般なりし。されば門松も色を失ひ、年賀者も往来少く、二日初売の如きは折も折大風雪にて市中人跡絶て、各商店只不元気に見えたり。斯くしては将来函館の有様は如何あるべき、火の消し如く氷の冷えし如くなるべしなど人々只首を低(た)るのみ。去れば吾新聞も其初刷に「新年如何」と題し、其将来は如何ぞと同感を表したり」と記しているところであり、長い不況が尾をひく中での函館支庁の廃止の報に、人びとは不安をかくすことができなかった。
 ところが、鰊漁期を迎えると、商況は一変し、久びさの魚価の騰貴に沸き、不況からの脱出を告げた。前記の「商況一班」は、次のように続けている。
 
四山雪解け春風吹き及ぶ四月の頃となり、徐々各地鰊の漁獲の報ある頃となり、相場も漸次騰貴の傾きあり。現時鰊〆粕の青田相場は磯谷郡にて三百三十円内外とす。〆粕は極々品不足の際なりしかば価格はズンズン騰貴し、前年の囲〆粕は二月初旬には六百三十円のもの三月初旬には六百八十五円、中旬には七百円までせり上げたり。是に於て乎人々は新〆粕の出荷を待つのみ。折柄三月下旬松前郡炭焼沢に於て千尾余の収穫鰊あり。ソレ鰊の季節至りたるぞと各商人は満面の喜色海の如くなる処へ、又々三月三十日江差発電報にて「初鰊収獲す」とあり。此れと同日に時も時なり東京発の電報に「今朝北海道海産税前三年平均五分金納となる」との永く吾北海道に於て記臆(ママ)すべき海産税減額、出港税廃止の報に接したる時の市況は忽ちに動き立ちたり。引続き松前郡江良町村に鰊千五百石収穫、引続き七月七日大々漁の電報達し、ますます人気引立ちたりき。出港税廃止と共に四月九日限り仲浜町船改所も閉鎖になりければ物産商、回船宿の喜びと便利は一方ならず。同日又弁天の砲台詰兵士の引上げとなり、爾後入港の諸軍艦へ対し礼砲を発さぬことゝとなりしは、市況に関係なき事なれど港の外景には物淋しき心地なり(しカ)とせず。去れど夫等は物の数ならず。引続き福山よりの大漁の電報に人気はグット引立ち居りしが、四月中旬には久しく欠乏をつづけたりし〆粕も留萌産地渡にて四百五十円の初商内ありたり。抑も十九年の初商ひは三百二十円、七月頃となり四百十円まで進みし者が、二十年の初商ひは四百五十円の出来とは大出来なりと、商況は益々強気なり。やがて初身欠も四月下旬に初荷着し、其出来値は一本につき三円なり。次で〆粕も続々出荷あり。五月初旬の相場は四百七十五円に上り、尚騰貴の景色にて、十日を経ざる内樽舞の鰯〆粕すら七百四十円となり、鰊〆粕は五百六十円になり、六月初旬益々上り七百円となりしが、持主はまだ強気にて売放さず、平年は米と〆粕の相場は同じ比例に高下あり。米高ければ〆粕も高く、粕低ければ米も下向きの傾きあるを常となすに、此の年は全道を平均すれば平年よりは鰊収獲高四分方不足にて、随て〆粕の製造も不足し、且つ漁民は平年よりは魚の不足より余暇もあれば何れも身欠鰊を製するの暇を得し故、旁々〆粕は品不足となり、之に加へ〆粕の需要年々拡張せし事なれば、当時越後玄米は一石四円七十五銭の低価なるに係はらず〆粕は之に反し非常に騰起(貴カ)したり。水産者の豊年と云ふべきなり。

 
 すなわち、この20年の鰊漁はかならずしも豊漁とはいえなかったが、海産税の減額、出港税の廃止が有利に作用したうえ、漁業者が付加価値の高い身欠鰊の生産にむかう余裕があったため、鰊締粕が格外に騰貴し、鰊製品の取引は活況を呈し、これを梃子に1月以来の函館の市況は一変し、好景気に沸いた。松方デフレ下の不況、北海道でいうところの3県期の不況からの脱出を反映するものにほかならなかった。
 この年は下り品の取引も盛んで、3月2日に新潟より玄米・白米取交ぜ500石ほどに雑品を積んで来港したのが下り船の初荷であったが、船手商人の景気はよく、その後も続々入港し、函館市中にては積入れる荷の不足をきたした。そのため、各船主は産地に回航し、函館での売上金をもって帰り荷の〆粕などの水産物を買入れた。船主が函館でえた金で、各産地から買入れた水産物の価額は25万円以上にのぼったが、函館の市況にさしたる影響を与えなかったという。