函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第6章 内外貿易港としての成長と展開

第1節 国内市場と函館

1 商業港としての成長

 明治12年から14年にかけての北海道移出入物品価額の産業別構成をみたのが、表6-2と表6-3である。移出品では、水産物が9割内外を占め、移入品では農産物が3、4割、工産物が5、6割を占め、この時期の北海道の移出入構造の骨格をなしている。移入農産物は、主食である米が中心をなし、移入工産物は、生活必需品や漁場用品などの生産用具が中心をなしたことは、想像にかたくない。開拓使の設置以来続けられてきた直接保護による移民の導入や、開拓使自らが主導した道路、鉄道、港湾の整備や、欧米にならった近代的産業扶殖の諸施策が、移出入構造をかえるまでにいたっていない。移出入品の構成にかぎっていえば、近世以来の交易構造が、明治10年代にいたっても根強く残存していたのである。北海道の管外移出入の6割を占有していた函館港も、これと大同小異であったことは、いうまでもない。
 
 表6-2 北海道管外移出物品価額産業別(明治12~14)
年次
区分
水産物
農産物
鉱産物
工産物
林産物
畜産物
その他
明治12価額(千円)
比率(%)
5,570
92.8
43
0.7
23
0.4
187
3.1
3
0.1

175
2.9
6,001
100.0
明治13価額(千円)
比率(%)
7,023
93.9
63
0.8
9
0.1
303
4.1
4
0.1

76
1.0
7,478
100.0
明治14価額(千円)
比率(%)
6,187
87.9
83
1.2
17
0.2
439
6.2
4
0.1

312
4.4
7,042
100.0

 『北海道史』付録より作成
 
 表6-3 北海道管外移入物品価額産業別(明治12~14)
年次
区分
水産物
農産物
鉱産物
工産物
林産物
畜産物
その他
明治12価額(千円)
比率(%)
148
2.7
2,029
37.0
89
1.6
2,952
53.8
145
2.6

128
2.3
5,491
100.0
明治13価額(千円)
比率(%)
182
1.8
3,836
38.2
117
1.2
5,343
53.3
290
2.9

260
2.6
10,028
100.0
明治14価額(千円)
比率(%)
171
1.4
3,665
29.7
147
1.2
7,755
62.9
239
2.0

349
2.8
12,326
100.0

 『北海道史』付録より作成
 
 明治11年7月から12年6月までの事柄を取り扱った明治11年度の「函館商況原稿」(道文蔵)によって、函館を経由する移出入品についてみてみよう。
 函館の主要管外移出品の第一は、各種の魚粕、昆布塩鮭であり、第二は、干鮑、干鱈、塩鱒であった。これについで身欠鰊、鰊鯑などの鰊食用品や鯣、塩鱈、あるいは魚油、鹿皮などが、その主なものであった。
 その生産地をみると、鰊は西海岸が主産地で、鰯は東海岸茅部、静内で多く産出した。昆布は、東海岸各地に産出するが、好品位の昆布は、日高、十勝、釧路、根室産である。鮭は全道各地で産出をみ、最良品は根室の西別、およびその付近で産出した。鮑は西海岸の渡島、後志、石狩、天塩などに産し、鱈は茅部郡が最も多く、鱒は千島択捉郡全島および根室方面を主とし、鯣は西海岸津軽、福島両郡に産出した。そのほか、日高、十勝、胆振、釧路産の鹿皮・鹿角、胆振産の帆立貝、渡島、後志、石狩、天塩、北見、日高、胆振、根室産の煎海鼠が出回り、海藻類・生魚や雑魚と称するものは主に函館付近各地で産出したものであった。
 魚粕類、胴鰊、笹目などの魚肥は、7、8年前、すなわち明治4、5年前までは、8、9割は、北陸、山陽、南海諸道に送られ、棉、みかん、藍などの商品作物の施肥用に使用され、東京方面に輸送されるものは数百石にすぎなかったが、近年では九州方面の需要も高まり、また、福島、山形県方面の養蚕家が培桑の肥料に締粕を試用したところ、その効能が確認され、競って使用するようになるなど、魚肥需要は逐年増加するにいたったという。
 明治11年中の函館からの移出高は、鰊締粕142万1208貫、17万8036円余、鰯締粕50万6003貫余、6万9528円余、雑魚粕16万0587貫余、26万6006円余、胴鰊・外割鰊・白子・笹目16万5519貫余、1万5914円余という膨大な数量、価額にのぼった。このうち京阪および中国地方に仕向けられたものが6割、残り4割が東京方面、九州方面に輸送され、東京方面から福島県などに再移出されるものも少なくなかったという。
 昆布は種類が多く、第一が長切、花折昆布、第二は元揃、駄、胴結昆布である。この2者は、中国に最も多く輸出され、ついでに大阪、九州および東京地方に仕向けられる。第三の手繰、棹前、汐干、若生などの昆布は、精製されて市中に販売される。明治11年中に府県に移出されたのは、2万9679石、12万0993円余である。
 塩鮭、塩鱒は、主に東京に仕向けられ、越前、越後、羽前、羽後がこれに次いだ。塩鮭、塩鱒は、翌年まで囲置くと、価格の下落をまぬがれなかったが、このころになると、西洋型風帆船の航海が盛んになったため、翌年に持ち越すものは、ほとんどなくなった。これに対して、身欠鰊は主に羽前、羽後、越前、越後、陸奥などに仕向けられ、東京、横浜、大阪に回るものは、3、4割にすぎない。主に山国で需要されたからである。干鱈は東京、横浜、陸奥辺や大阪、下関などへ仕向けられるもので、近年になって盛んになった移出品であり、鯑、塩魚、生魚、鮭子、干雑魚、鱈胃、魚油、海藻類は、陸奥、羽前、羽後、あるいは越後、越中に輸送され、その他の地に出るのは僅少である。
 干鮑、鯣、煎海鼠は、主に清国輸出向けで、横浜、東京に輸送され、清国商人に販売された。鹿皮、鹿角は、東京、大阪に多く仕向けられた。
 明治11年度「函館商況原稿」には、移入品についての包括的な記載はみられず、わずかに一部の品目について、明治11年ころの1か年の移入額が推計されているにすぎない。毛および綿織物11万円、帽子・傘・小間物類8万円、酒類および食料品3万円、石炭・油2万5000円、砂糖類1万5000円、鉄釘類4万円、船具類5万円であり、このうちかなりの部分が他府県に再移出される。元来、東京、横浜などより函館に移入される物品、反物や各種の舶来品などのうちには、青森、秋田、山形の各県下に輸送されるものが含まれていて、一旦函館に移入され、再びそれらの地方に回漕されたという。