函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第5章 近代港湾の生成と陸上交通の整備

第5節 函樽鉄道

1 着手までの経過

 建設費削除の理由は、北海道全体の計画を考えない、わずか35マイルなどという小手先の対応をやめて、北海道開拓のうち、鉄道の建設は民間の事業に移そうというものであった。しかし本会議では議論の末、これをまた復活させ可決した。さらに、近衛篤麿貴族員議員らが「北海道鉄道敷設法案」を提出した。この案は修正のうえ可決され、同年5月14日法律第93号「北海道鉄道敷設法」として公布された。端的にいうと、北海道の鉄道は、内陸部の奥地開拓、殖民のため、敷設せらるべしということである。これによれば、政府は北海道に必要な鉄道を完成するため、暫時予定線路を調査し、敷設する(第1条)とし、その予定線路には、「後志国小樽ヨリ渡島国函館ニ至ル鉄道」が含まれていた。また、この法律には予定鉄道中建設に着手しないで線で、私設鉄道会社から建設の許可願いが出た場合には、議会の協賛を経て許可することも付け加えられた。これをうけて北海道庁では、早速全道をくまなく調査させて、同年12月「北海道官設鉄道調書」を作成し拓殖務大臣に提出した。急を要するものから順次着手することとし、第1期562マイルと第2期442マイルとした。これによれば、「小樽港ヨリ函館ニ至ル鉄道」は第2期分とされたのであった。この計画は、正式の明治政府の意思の表明である。北海道内陸部の鉄道工事は、これから各地方一せいに始まり、北海道鉄道建設工事が開始される。
 ただし、この北海道鉄道敷設法の予定線から、函館、小樽間の鉄道敷設を削除して、これを私設鉄道会社に許可しうることに、30年3月、改めることになる。その経緯については後述する。