函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第5章 近代港湾の生成と陸上交通の整備

第3節 倉庫業

6 倉庫業の発達と回漕店

 現代の回漕店は、船舶と荷主との間に立ち集荷を行う業者のことである。海運業者の代理をするが、海運業とは別個の業種である。また回漕店は、倉庫を持たない。この種の回漕店は、集荷した貨物を倉庫に積込んで置いて、適宜、船舶に積込む。しかし、明治20年代以降の回漕店の状況を見ると倉庫業と固く結びつき、これと未分化の海運取扱業兼海運業であったようである。『北海道倉庫業』は、次のように指摘する。
 
本港民間ニ於ケル倉庫業ノ由来ヲ尋ヌルニ明治二十年ノ頃迄ハ別ニ倉庫専門ノ業務店ナク維新前ニ在テハ所謂ル問屋ナルモノハ即チ営業上専ラ本港出入貨物ノ蔵扱ヲ為シタリト云、去レバ倉庫業ノ発端ハ問屋ニ起リ維新以後運輸機関ノ変遷ニ従ヒ自ラ専門ノ業務ヲ生ズルニ至リシナリ……(維新後)汽船ノ往復漸ク頻繁ヲ加ヘ殊ニ明治十年西南ノ役平定後ハ俄然航運事業ニ一大進歩ヲ来タシ且ツ本道ノ開発ニ伴フテ貨物ノ出入集散年ヲ遂フテ繁劇トナリシテ以テ従前回船問屋ノ取扱ニカカル事業ハ自ラ二途ニ分業スルノ気運ニ進ミタリ、即チ一ハ回漕店トナリテ専ラ貨物ノ回漕取扱ヲ以テ営業トナスモノヲ生ジ、他ハ倉庫業者トナリテ貨物庫預リヲ取扱フニ至リタリ……

 
 ここでは、明治10年後「貨物の出入集散」が増大したため、従来の回船問屋が回漕店と倉庫業者に分化したといっている。この「回漕店」は、海運業と海運取扱業兼業者であった。明治26年『函館商工業調査報告』では、回漕問屋組合、人員31人、取締和田惟一となっている。この回漕問屋人員31名というのが、どのような性格の業種なのか、必ずしも明らかでない。少くとも現在のように海運業と回漕業とが、明白に区別された状態ではない、ということはできよう。が、『北海道倉庫業』のいう回漕店と同じ性格のものであったと思う。その資本力もさまざまであったが、有力な地元商人資本であり、海運資本が中心であった。
 たとえば、『函館海運史』には、明治42年7月23日、船舶過剰のためロシアから拿捕したターター号を倉庫船として港内に繋留(4425総トン)したが、この貨物は、有力な地元資本日下部回漕店が扱ったとある。このような海運兼業者もおれば、専業、倉庫業者および荷主(商業資本)と結びついた業者もいたと思う。『函館海運史』では、回漕店を、船を所有あるいは使用する海運資本として扱っている。もし、そのような形の海運資本をも回漕店に含めるならば、範囲はもっと広くなり、倉庫業を営まぬ海運及海運取扱業となる。いずれにしても、海運資本との関係は密である。
 明治30年代の函館を起点とする就航汽船は百数十隻にのぼるが、そのうちの70パーセント以上が不定期船であった。これらを取り扱った回漕店は明治36年時点では次のとおりであった(『函館海運史』)。
 仲浜町15 吉田回漕店、末広町8 西村回漕店、東浜町7 高橋回漕店、同15 服部回漕店、仲浜町6 工藤海運部、東浜町3 藤野回漕店、東浜町14 宮本回漕店、同6 林回漕店、船場町2 阿部回漕店、同6 金森回漕部、東浜町28 樋口回漕店、弁天町24 中村回漕店、仲浜町10 川口回漕店、船場町24 古館回漕店、同 坂井回漕店、同 小杉回漕店、東浜町7 函館運送会社、末広町2 和田回漕店 
 同じ『函館海運史』に掲載されている明治36年時点での不定期船の函館在籍船主には服部半左衛門や藤野四郎兵衛、吉田庄作、工藤嘉七などの回漕店の名がみえる。回漕店の多くは実は不定期船の函館在籍船主、つまり、海運資本であったようである。だから、この海運資本の実態は、不定期船(トランパー)である。つまり不定期船海運資本と回漕店は、密接な関係があるようである。