函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第5章 近代港湾の生成と陸上交通の整備

第1節 函館港の変遷

2 函館港の行き詰まりと改修

 函館港は、明治以前から海岸を埋立、その埋立地に波止場、倉庫、商店、官公庁、道路、住宅を建設して整備がなされてきた。この埋立は、函館港の船舶入出港隻数の急増、貨物の激増、したがって商業の繁栄、これによる人口増と共に激増し、ついに港としての機能を失わせるに至るまでに増大した。
 明治期の埋立をまとめると、表5-2のようになる。

明治後期の函館桟橋 北大図書館北方資料室蔵

 なお明治32年竣工した区営の港湾改良工事の中に、防波堤200尺というのがある。若松町地先と推定される。外に私営として、北海道鉄道株式会社(国有以前のもの)が海陸連絡設備として若松町の埋立を施行した。鉄道が国有になってからは連絡桟橋が出来た(現在のものの前身)(中村廉次『北海道港湾変遷史』)。
 江戸時代以来、一体どれくらい、海汀埋立が行われたのか。ここに一つの報告書がある。明治28年広井勇は、函館、小樽港調査を完了、道庁長官北垣国道あてに報告書を提出した。函館港の部分に次の記述がある。
 「意(おも)うに今日半島をなす函館は往時一孤島なりしも土砂の堆積して現状をなすに至りしものならむ乎、近来人口の増加により人工の水面を埋立て港内の面積を縮小せしこと実に十六万坪を下らざるべし、現に旧砲台若松町間に施て海岸の前進せしこと平均百間余とす」(前掲書)。
 これが、明治27、8年の調査結果とすると、函館港改良の基礎を固めた旧砲台地先埋立および、若松町2万7000坪の埋立以前に、すでに16万坪が埋立てられていたということになる。その大部分が、函館区および函館商人の出願、出資に成るものである。ここに、函館港浚渫を中心とした改良工事の必然性を見ることができる。小樽、室蘭港との差異は、この埋立が道庁(すなわち官)主導でなく、半官半民の北海道炭鉱鉄道主導でもなく、純粋に函館商人資本の計画、出資、造成したものだ、ということである。
 
 表5-2 明治期埋立関係年表
年 次
時         項
5.旭橋より東浜町堀江橋に至る海汀凡そ1200坪、市民自費を以て埋築
6.10船匠島野市郎次、造船所設置のため、西浜町の海汀915坪余埋立
8.10杉浦嘉七、西浜町海汀309坪余を埋立(後の幸町)
11.2船匠辻松之丞造船所設置のため、仲浜町の海汀841坪余埋築
13.3福士成豊、真砂町の海面1904坪埋築
13.9開拓使、弁天町海面を埋め、土砂を以て幅13間余、長26間余の物揚場を築く、経費1471円
13.11船場町前海を埋め、土石を以て、幅14間余、長26間の物揚場を築く 経費2240円
14.11開拓使、谷地頭埋立完成、地積31725坪13498円余で区民に売下げ外4000坪余を貸与地とす
21.2山背泊石垣増築竣工
22.前年の亀田川転注による願乗寺川埋立完了
22.鹿児島人河野圭一郎真砂町地先4000坪埋立
23.佐野定七、倉庫敷地の目的を以て海岸町地先約3000坪埋立
30.5区の事業として若松町地先27183坪埋立(経費91000円、32年4月竣工、35年停車場用地として北海道鉄道株式会社に譲渡)
31.6函館船渠株式会社に於て社用地として弁天町区埋立地に接続して13742坪埋築開始
31.9海岸町の第1防砂堤完成
33.弁天砲台地先埋立を始めとする函館区営港湾改良工事竣工、44547坪及び船入場1か所(防波堤及び市街地拡張のため)
37.葛西耕芳、倉庫地の目的を以て、豊川町海面989坪埋立
43.道庁第1期港湾改良工事開始、工事予算は約167万円、(防波堤、 防砂堤〈琴2、3〉建設のため)

 『北海道港湾変遷史』による