函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第5章 近代港湾の生成と陸上交通の整備

第1節 函館港の変遷

2 函館港の行き詰まりと改修

 明治16年の内務省技師モルトルの調査結果に基づいて、積極的に改良されたのが、亀田川の転注である。函館県は亀田川の転注計画を要請、道庁時代になり、明治19年5月に実測、10万1212円の予算で、20年起工、21年10月転注を完了した。モルトルの意見に従い、亀田川を函館湾ではなく、大森浜に転注したのである。モルトルの設計により、新川路1571間(旧河川部の拡幅延長666間、新規掘削延長905間)の予定のところ、掘割延長は予算より9間を増して1580間となった。敷幅5間5尺より10間、高さ7尺ないし9尺の石垣を築いた。また願乗寺川は21年埋立開始、22年埋了した。モルトルは港内填埋の原因として、もう一つ山背泊の丘崖が崩壊して土砂が出る事を指摘していたので、この意見を採用、道庁は明治21年4月、石垣築造に着手、12月竣工した。延長184間、高さ2間3尺、工費5111円70銭であった(『函館区史』)。モルトルの調査は、函館港浚渫工事という、現状補修のため行われたとはいえ、現在の函館港には限界あり、将来、基本的に人工港湾として再考し、新しく建設すべきを示唆した基礎的調査である。函館港近代化の第1調査というべきだろう。第2調査といえるのがメークの明治21年の調査であり、これに基づいて行われたのが次の区営による港湾改良工事であった。