函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第3章 北海道庁設立と自治制への歩み

第2節 自治制への歩み

1 北海道議会開設運動

 第1議会閉会後の函館における北海道議会開設運動の進展に一つの刺激を与えたのが、明治24年8月上旬の板垣退助一行の来函・北海道遊説だった。
 明治24年6月7日、町会所での発起人会において、東北地方を遊説中の板垣一行を招待することになり、有志者大会に図られることになった。12日、町会所で開かれた有志者大会には70余名が出席、板垣一行の招待と、この時点まで29名であった発起人を50名に増員し、名称も評議員と改め、人選に入ることが決定した。評議員の増員は事務の増加に伴うものであるが、同時に発起人の発起人会への出席不良という事態にも対応するものであった。発起人から評議員という恒常性のある名称に改められたことに注目しなければならないだろう。7月5日、町会所で板垣一行歓迎準備のための発起人会が開かれ、送迎接待の委員として、馬場、佐瀬、平出、上嶋、工藤、林、新保八右衛門、小川幸兵衛、高橋文之助、種田直右衛門の10名が投票により選出され、さらに改称された評議員の中から、幹事5名が選出されることになり、馬場、佐瀬、平出、上嶋、工藤の5名が当選、迎接委員10名の互選により板垣一行出迎えに青森に出張する委員2名として佐瀬、上嶋が選ばれたのである。12日、町会所での迎接委員会で病気を理由に出張委員を辞退した佐瀬に代わり馬場が選ばれた。この後、迎接委員会では板垣一行歓迎の行事、日程、任務分担など周到な計画が練られた。
 8月4日、板垣は、河野、龍野周一郎、奥沢福太郎、宮崎宣政、中西幸猪の5名を帯同し、青森まで出迎えた馬場、上島と共に来函、工藤、平出、佐瀬ら30余名の外に小樽の山崎知遠、福山の岩田栄蔵、板垣一行とは別に東京をたち、函館で合流予定で既に7月31日に着函し谷地頭の勝田旅館に宿していた高津仲次郎が、これを出迎えた。8月5日午後の懇親会には234名が来会、板垣、河野、高津、龍野、溝口らの演説が行われた。板垣は道議会開設について以下のように述べている。「余輩の一派が本年の国会に提出せんと期したる北海道議会問題の如きも熱心に之を遂げんことを期するものなり而して植民地には自由と利益を与へざる可らず本問題は北海道に自由を与へ兼て又た利益を与ふるものと余は信ぜり然るに此問題に就ては諸君の意見と相契合し両々相携へて運動するの位地を得たるは余の喜ぶ所なり余は固より此問題に全力を傾くべし諸君も亦た怠る勿れ」(明治24年8月6日「函新」)。同日夕方よりの渡島座での演説会は、2000名余りの聴衆が集まり、溝口、高津、河野、板垣、龍野の順で演説が行われた。8月6日、板垣、河野、高津ら、一行7名は、小樽の迎接委員山崎知遠と共に函館をたって小樽に赴いたのである。
 小樽、札幌、空知を遊説・視察した板垣一行は苫小牧を経て、8月15日室蘭に着いた。16日、板垣一行は函館より室蘭まで出迎えた内山長太郎ら3名と同船で森に着岸、馬車で函館に至り、同夜11時に乗船、青森に去った。一方、札幌で板垣らと別れて札幌、空知の視察・調査を続けていた高津は9月3日、帰函、勝田方に投宿、4日、金仙楼で20余名が参会して送別会が開かれ、高津は4日夜、定期船で青森に向け出発した。