函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第3章 北海道庁設立と自治制への歩み

第1節 北海道庁設置に伴う行政機構

1 3県から1庁制へ

 函館支庁は廃止されたが、函館は外交上の配慮から特別扱いとなり、元函館支庁庁舎内に外国人に関する事務を担当する北海道庁長官出張所が設けられた。
 
        北海道庁令第二号
  函館ニ北海道庁長官出張所ヲ置キ外国人ニ関スル事務ヲ処理ス、但長官不在ノ時ハ理事官ヲシテ代理セシム
    明治十九年十二月二十八日  北海道庁長官岩村通俊
                         (明治十九年『北海道庁布令全書』)
 

函館区長、亀田上磯郡長、函館・亀田警察署を兼任した二木彦七道庁理事官 『函館教育会沿革史』

 実際にはこの出張所は但書き部分で運営され、函館在勤の理事官が長官代理としてその任に就く体制であった。初代の函館在勤理事官は函館区長兼務の二木彦七で、彼は午前は区役所に出勤、午後は長官出張所に出勤し、もう一つの兼務先亀田上磯郡役所には時々出掛けて郡長事務を処理する体制であったという。23年2月22日、理事官でない人物が函館区長に任命されると、道庁第3部長の小野修一郎理事官(奏任官2等中級俸…2200円)が別に函館在勤理事官に任命されて函館にやってきた。ただし、この人事がスムーズに行われたのでないことは、官報の辞令記事を見ただけでも分かることである。まず2月22日に二木函館区長の後任人事が発令されたが出張所詰理事官についてはそのままで、3月3日になって道庁第1部長の藤田九萬が出張所詰に発令されたが、翌4日この辞令が取り消されて改めて第3部長の小野修一郎が出張所詰を命ぜられているのである。「北海」新聞の次の指摘はかなり当を得た指摘といえるのではないかと思う。
 
従前は二木氏一人にして兼帯せしに今回は之れを二人に分任せらるヽものなり、余輩は長官出張所の職掌は如何なるものかは十分に之をしらずと雖も、外人に関する事、徴兵に関する事、外国軍艦訪問の事、奉幣使参向の事等に過ぎずして左まで繁劇の事務にあらずと聞く、現に二木氏の数年間之を兼帯して綽々然余裕ありしを見ても其事務の繁劇ならざるを証するに足るものなれば、是が為めに別に一人の理事官を置くを要せず、従前の如く区長を兼帯せしめん事、是れ経費節減の一端にして誠に得策たるにあらずや、然るに今回特に専任の区長を設け、別に出張所詰の理事官を置かれし所以のものは何故なるか、道路説を為すものあり、曰く二木氏の後任として二、三の理事官に内命ありしも何れも、区町村の事務に慣れざるの故を以て之れを辞退せしが為め已むを得ずして今回の処置に及びたるなりと、余輩は決して此説を信ずるものにはあらずと雖も、他に如何なる正常の理由あるかに至ては之れを発見する能はざる所なり、若し道庁理事官に冗員あるに由るとするか、余輩は強て無用の人を採用し置くに及ばざるべしと考ふ、又若し両者兼帯せば其繁忙に堪えざるに由るとするか、余輩は二木氏の先例を挙げて之が反証と為さんと欲す
(明治二十三年三月五日「北海」社説「函館区長の更迭」)

 
 この頃から函館の新聞紙上では、それほど重要な業務もないのに高級官僚が詰める長官出張所は不必要ではないかという論調の記事が散見されるようになる。こういう状況のもと、この長官出張所も23年6月30日には庁令第38号を以て廃止となり、「海外旅行ニ関スル事務ハ自今函館区役所ニ於テ取扱フ」という告示(北海道庁告示第24号)と共に、特に重要な外交事務以外は函館区役所に引継がれている。