函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第2章 開拓使の設置と函館の町政

第5節 開拓使官有物払下事件と市民運動

2 函館の対応

 函館では、当時北海道唯一の新聞「函館新聞」が8月10日、初めて、7月26日付の「東京横浜毎日新聞」社説を要約してこの事件を報道した。引用記事の最後に「信ずべきものにはあらざるべけれども、万々一、かかる事があらば実に当道の不幸此上の事はあるべからずと存じられます」と結んでいる。
 この報道に接した函館市民は、驚くと同時に開拓使廃止後の商業活動が関西貿易社1社に牛耳られることを恐れ、北海道運輸会社設立の気運が一気に本格化した。この会社は、明治14年6月18日に市内の有志が設立に向けて初会合が持っていたものであった(「桜庭為四郎文書」道図蔵)。会合では、開拓使が14年末廃止という前提で、、その後の北海道の海運についての話し合いがなされ、海産物の輸送手段確保のため、開拓使船舶の払下げを受け海運会社を設立することで意見の一致をみたが、開拓使への申請など具体的な動きには至っていなかった(8月12日「函新」)。
 最初の事件報道があった8月10日、杉浦嘉七、佐野専左衛門、田中正右衛門、小林重吉藤野喜兵衛、常野正義など函館の有力商人36人(表2-56)が三井銀行函館支店会議室に集まり、資本金50万円を募って会社を設立、開拓使所属の汽船と倉庫の払下げを出願することを決議、設立発起人代表に常野正義(初代函館区長)を選任した。12日、常野正義と田中正右衛門は函館支庁に時任為基開拓大書記官を訪ね、払下げ願書を提出した。しかしその場で「すでに他所へ払下たるのちなれば今更折角の事にはあれど及びがたし」と回答された。それでも彼らはさらに懇願し、翌13日協同館に宿していた黒田長官(12日に玄武丸で函館入り)に面会を許されるところまでこぎつけた。しかし黒田長官もまったく払下願書を受け入れる姿勢は見せず、汽船と倉庫の払下げを受けて運諭会社を設立するという目論見は頓挫してしまった(8月14日「函新」)。
 
 表2-56 北海道運輸会社発起人
氏名
記号
氏名
記号
氏名
記号
杉滞嘉七
田中正右衛門
小林重吉
村田駒吉
金沢弥惣兵衛
安浪次郎吉
工藤弥兵衛
枚田藤五郎
上田武左衛門
米谷権右衛門
泉藤兵衛
石田啓蔵
※  ○☆
※  ○☆
※  ○☆
※  ○☆
※  ○☆
※△○☆
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※△○□
※△○
※△○
※   ☆
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山本忠礼
杉野源次郎
藤野喜兵衛
常野正義
佐野専左衛門
相馬哲平
脇坂平吉
国領平七
菊池治郎右衛門
宮路助三郎
渋田利右衛門
浜中伝三郎






斉藤又右衛門
池田六右衛門
常野嘉兵衛
岩船峯次郎
大野六兵衛
興村忠兵衛
高橋七十郎
佐野源右衛門
遠藤吾平
蛯子安五郎
伊藤鋳之助
久富治吉

 「桜庭為四郎文書」道図蔵より作成
 ※印は当時区会議員の者
 △印は8月13日に区会へ常備倉払下げ建議書提出者
 ○印は8月14日の区会で払下決議に署名した者
 □印は8月27日の再願者
 ☆印は15年3月に汽船拝借出願者