函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第2章 開拓使の設置と函館の町政

第4節 函館区会開設

1 函館区役所の設置

 しかし市民の大きな期待を担って誕生した函館区内の戸長役場は、数年を経ずして統合され、廃止されてしまうのである。
 
 表2-50 戸長役場開設一覧(明治13年8月1日)
組名
受持町名
役場所在地
戸長
筆生
備考
1組松蔭町~山背泊町22町片町1番地
※鍛冶町26番地
宮田五三郎松浦重吉戸長役場合併(15.6.30)
1組・3組→1組
2組・4組→2組
5組・6組→3組
1組戸長 小西清次郎
2組戸長 竹内与兵衛
3組戸長 相川洗心
2組元町~谷地頭町17町南新町140番地
※相生町98番地
西村本次郎島文斎
3組鰪澗町~仲浜町10町弁天町20番地
※大黒町83番地に新築
小西清次郎斎川万次郎
4組内澗町~亀若町8町恵比須町100番地
※末広町68番地
竹内与兵衝島田岩吉
5組地蔵町4~6丁目~大森町10町地蔵町5丁目68番地
地蔵町14番地
相川洗心新谷広次
6組鶴岡町~海岸町7町鶴岡町20番地隣宮地
鶴岡町47番地先
斉藤又右衛門五島祐三郎

 注 ※印は明治14年の町名改正以後の町名番地 明治13年「函館区役所達」より作成
 
 まず、戸長役場開設表(表2-50)の備考欄にも記した通り、15年6月30日6組から3組に統合される(明治15年『函館県布達々全書』)。1組と3組が合併して1組となる。ほぼ基坂から西部の全域である。2組と4組が合併して2組となる。ほぼ基坂から東へ十字街界隈まで。5組と6組が合併して3組となる。十字街から東の新興地一帯である。そしてこの統合の翌年末、ついに次の告示によって戸長役場は廃止され、取扱い事務は区役所に集約された。
 
  函館区内戸長役場本年本月三十一日限リ相成廃止、其事務ハ函館区役所ニ於テ可取扱、此旨告示候事
                 函館県令時任為基代
   明治十六年十二月十三日    函館県少書記官堀金峰   (明治十六年『函館県布達々全書』)
   函館区の戸長役場が統合から廃止へと向かった理由として、次のようなことが考えられる。
 
(1)戸長役場の維持も経費が係ること。
(2)市民が大いに期待した面(協議費に係る事件等)が後述する区会開設により、区会と区役所との対応で処理され、戸長役場は十分機能しなかったこと。
(3)数郡を管轄する郡役所にあっては、数村毎に置かれた戸長役場は行政末端事務処理機関として機能させえたが、これらの郡と比較すると管轄区域が地理的に狭い函館区役所にあっては、直接区役所対応が可能であったこと。

 
 村々に置かれた戸長役場は、明治35年4月に北海道2級町村制により村役場(亀田村、銭亀沢村、湯川村など)が誕生するまで存続した。