函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第2章 開拓使の設置と函館の町政

第3節 町政の展開

3 町会所

 小区内では、10数戸から30戸ほどのまとまりで組合を作っている。その代表が組合頭である。組合頭という名称は、江戸時代に設けられた隣保組織「5人組」の長をさしたもので、組頭とも伍長とも呼ばれ、町役人の枠外の位置付けではあるが、組内の諸務を担当してきた。組合頭の任命方法は、江戸時代には名主町代による選任という形で行われてきたが、大小区制が定着するにつれ、公選制を取り入れた「組合頭編製法」(明治9年)が定められ、小区の住民が投票によって組合頭を選ぶこととなった。第2大区3小区の大黒町(戸数151)では、明治9年2月12日に組合頭の選挙が実施された。次はその選挙結果の広告であるが、明治9年の戸数6317戸(明治9年「管内村町戸口表」道文蔵)から推定すると、函館市中では200余人の組合頭が選任されたものと思われる。
 
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 第二大区三小区   壱ノ組組合頭 鈴木久蔵、弐ノ組組合頭 及川源兵衛、
           三ノ組組合頭 富原九一郎、四ノ組組合頭 植原定兵衛、五ノ組組合頭 高岡正太郎
右ハ今般伍組編製ノ義伺済相成候ニ付、其区組々組合頭公選ノ義本月十二日投票之処、前記ノ各名投票多数ニ付、本日組合頭申付候間、此段広告ニ及候也
第二大区三小区中         (明治九年第一月ヨリ第六月卅日ニ至「本使御布達」)

 
 またこの組合頭編製法の第7条には、「組合頭ハ該組中ノ公選ニ出ツレハ、即チ其組中ノ名望アル者トス、故ニ区務等ノ義ニ付衆議ノ節、惣区ノ組合頭集会ノ世論ヲ尽クシ、議一途ニ出ツルモノハ区中異議ナシト見做シ其議ヲ定ム」(「桜庭為四郎文書」道図蔵)と、区務に関して衆議が必要な場合は、市中の組合頭の集会で議論が一致すれば、区の議決とする旨も定められていた。組合頭編製法により組合頭の位置付けが明確になると、江戸時代には組合頭の異名とされていた伍長も、伍組のまとめ役としての位置付けが明確にされた。伍組は、隣近所5戸(基礎単位)が月番で伍長を勤め、布達類の伝達と共に組内の協和親睦を図るものとなったのである。組合中の各伍組は、1号、2号などと号数をもって呼ばれた。第2大区4小区内澗町の6ノ組に属する田中正右衛門家の「諸用留」に書き留められた「月番伍長事務取扱心得」(明治9年第1月ヨリ第6月丗日ニ至「本使御布達」)には、まず、「月番伍長は五戸中一ヶ月を以交番相勤む、甲の者勤む終て乙の者交番の節は兼て月番信符を造置、甲の勤済の者より月番信符を其組合頭へ送致、組合頭より乙の月番の者へ右信符を授け月番伍長の証とす、然して月番伍長は其の一ヶ月中は御布達其他区務等の事請込、四戸の中へ通知すへし」と伍長の月番制の説明をし、他に「伍組中互に協和親睦を主とす、伍中に鰥寡孤独廃疾或は不時の災害に罹り困難等の者あらは、月番伍長早速より其組合頭へ相届けべし」等、3か条の心得が記されてる。法度遵守と相互監視を主眼とし、5人組の連印を要求した江戸時代の五人組帳とは大いに趣を異にしている。この6ノ組の伍長月番表を示すと表2-29の通りである。
 町会所、区務所、小区扱所の関係と区長、戸長、町用掛、組合頭、伍長を系統図的に図示すると図2-1となる。
 
 表2-29 第2大区4小区内澗町6ノ組伍長月番表
蕃号
2月
3月
4月
5月
6月
1号
岡田忠三郎佐藤平次郎五十嵐三次郎伊藤弥太郎山本善吉
2号
小西八郎兵衛桝藤兵衛尾張とき金沢良吉田中正右衛門
3号
石川小十郎板垣元三郎四十物松蔵藤谷清吉浜西出つね
4号
小西出たけ讃岐栄三郎飯田治作大谷儀左衛門坂野勝太郎
5号
新与三郎宮越治助天王寺辰三郎森浅五郎


図2-1 町会構成