函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第1章 維新政権成立期の胎動

第2節 箱館戦争

3 旧幕府脱走軍の施政


ブリュネ(前列左から2人目)と松平太郎(前列左から3人目)

 宣言式のあと、脱走軍海陸軍は「各隊の兵制或は蘭式を用い、或は英或は仏等区々たり」(「感旧私史」)であった軍制を、フランス式に統一再編した。これを指導したのはブリュネ大尉であった。彼は奥羽越列藩同盟の要請でカズヌーブを連れて仙台に入ったのであるが、仙台が降伏したため榎本らと行動を共にすることになり箱館までやってきたのである。仙台では彼の部下フォルタン、マルラン、ブッフィエが参加、箱館ではフランス軍艦ミネルバ号からの脱走者ニコル、コラシュらを加え、フランス人は彼を含めて10人になっていた。
 寄り合い所帯の陸軍は、4つの連隊(レジマン)に編成され、各連隊には2つの大隊、その大隊は数小隊で構成されるという体制に整備された。連隊には連隊長が置かれることになったが、脱走軍の諸記録では、第2連隊長は本多幸七郎、第4連隊長は古屋佐久左衛門とあるが、第1と第3はコロネル(連隊長)ナシとなっている。なお、フランス側の記録では各連隊に1人ずつフランス人の司令官が配置されたと記されており(鈴木明『追跡』)、大鳥圭介もフォルタン、マルラン、ブッフィエの3人は「多く練兵の事に勉励せり」(『南柯紀行』)と記している。なお、彼らは新政府軍の蝦夷地上陸後も勇敢に戦ったが、脱走軍が明治2年4月29日に矢不来で大敗北を喫した後、脱走軍を離れてフランス軍艦コエトロゴンに収容され、のちサイゴンへ送られた。
 一方、海軍も回天が旗艦となり、蟠龍、千代田形、高尾の4軍艦体制に再編となり、フランス海軍からの脱走者であるニコル、コラシュ、クラトーの3人が訓練を指揮した。これら組織図としてまとめると図1-1となる。また、彼らの階級も表1-9のように整備され、兵士の1日の日課は表1-10の通りに定められ、五稜郭にあっては望遠櫓に詰めた喇叭手が日課の合図を担当した。

図1-1 旧幕府脱走軍組織図

 このような時、先に英仏船将に託した天皇への嘆願書が、英仏公使館書記官から岩倉具視に手渡されたが却下され、征討軍隊の派遣も決まったとの情報が入った。このため脱走軍は、五稜郭弁天岬台場以下要所の兵備を固めるとともに、砲台胸壁を増築、フランス式の訓練に励むこととなった。ほぼ日本全土を平定し自信をもった新政府が、諸外国に対して局外中立の撤廃を求めて交渉を進めている最中の出来事であった。局外中立の撤廃は、イギリス公使パークスの主導で、明治元年12月28日にイギリス外6か国の公使から布告された。
 
 表1-9 旧幕府脱走軍階級表
陸軍
海軍
箱館・松前・江差・
開拓・ 会計各奉行
士官陸軍奉行
陸軍奉行並
歩兵頭(砲兵、工兵、騎兵)
歩兵頭並(同上)
陸軍奉行添役、海陸裁判役
差図役頭取改役
差図役頭取
差図役
差図役並、陸軍奉行添役介
海軍奉行

軍艦頭
軍艦頭並
軍艦役
軍艦役並
士官見習1等
士官見習2等
士官見習3等
奉行
奉行並
組頭
組頭勤方

調役
調役並
調役並勤方
下士差図役下役
差図役下役並
嚮導役
取締
隊士
士官見習当分出役
俗事方
椿古人
水夫小頭
水夫、火焚
定役元締
定役
同心
各掛り

 「感旧私史」『函館毎日新聞』大正2年連載より作成
 
 表1-10 旧幕府脱走軍日課表
時刻
日課
午前6:00
6:30
7:00
7:30
7:45
8:00
10:00
10:45
午後0:00
0:15
4:00
8:00
9:00
起床
人員点検
朝食
掃除
整頓
練兵
会議
番兵交代
昼食
整頓
夕食
人員点検
就寝

 「感旧私史」『函館毎日新聞』大正2年連載、橋本直義「夢もの語」より作成