函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第1章 維新政権成立期の胎動

第1節 箱館裁判所(箱館府)の設置

1 政権交代

 翌27日、空き役宅に仮役所を移していた杉浦兵庫頭五稜郭へ出頭して清水谷総督と対面、側近から総督の言葉を認めた次の2通の書状を渡された。
 
(1)今般当所裁判所御取建ニ付、是迄預役所金穀機械等逐一取調、証書指出候公心神妙ノ至ニ候、右ノ趣朝廷へ可及言上候条、役々一同へ可被申渡候也
(2)是迄詰合ノモノ上下一同衣食等ニ不苦様取斗可申候条、各得其意安心可致、其上人材ニ随ヒ夫々任用可有之候、今日ニ至候テハ孰も皇家ノ臣民タルハ勿論ニ候間、裁判所附属ノ心得を以テ尽力可致候事
(前掲「日次記」)     

 
 杉浦兵庫頭の尽力により蝦夷全島は新政府へ整然と引継がれることとなり、また奉行所付属の役人の処遇も杉浦の配慮が承認されたわけである。総督との対面の後、杉浦は井上石見、岡本監輔、巌玄溟、小野淳輔、堀真五郎の箱館裁判所首脳とも会談、今後の事についての意見を述べている。
 平穏引継ぎと以後の円滑な経営継続に心を砕いてきた杉浦兵庫頭は、箱館奉行所直接統治地域の業務内容を認めた「地方演説書」と蝦夷地全域に関する業務内容を認めた「蝦夷地演説書」に分けて引継書を作成していた。「地方演説書」は、和人地のうち松前藩領を除いた箱館奉行所直轄50町村(箱館町から長万部村まで)の現況、収税法、拝借米金の貸与法などについて、52か条に亙って概説している。「蝦夷地演説書」には、東西北蝦夷地の場所経営状況について述べられており、更に室蘭の在住荒木寛三郎の牧牛育成に関しても「牧牛の儀に付演説書」を作成している。この引継演説書と共に、「運上金并増運上金増冥加金取調書」「東西請負人共請証文」「全島大幅切絵図」「場所々々切絵図」「東西北蝦夷地其外離島場所詰人数書」「北蝦夷地出稼人名前書」「場所々々備米金高」「役託向并本陣会所運上屋備米等建物調書」「備馬員数調書」「ウス・アブタ・シャマニ牧并馬員数調書」「村役人浜役のもの名前書」「永住人出稼人家数人別調」「産物出石高壱ヶ年凡積」「建網笊網員数書」「場所々々取立候浮小物成調書」「永住のもの并土人共所持大小船数調書」「役土人名前并土人々別帳」等の場所経営基本台帳とも言うべき諸帳簿・図面が引継がれることとなった。しかし引継の実務となると種々問題があり、28日に組頭宮田文吉と山村惣三郎が五稜郭に赴き相談の結果、表向の目録引渡しは5月1日に行うことに決定したが、役々の去就等はその後の話し合いでということになり、引渡し後も当分の間は、江戸に帰ることを願い出ている者までも手助けをすることに決定した。
 5月1日、杉浦兵庫頭は熨斗目麻上下姿で五稜郭に出頭、引渡目録13冊を清水谷総督へ手渡し、一ノ間に着座していた総督は一覧の上これを受取り、引継式は終了した。
 しかし、箱館奉行所の金穀は、江戸表の状況を心配した杉浦兵庫頭が、3月中に江戸へ回送してしまっていたために箱館にはほとんど残されておらず、ために箱館裁判所の首脳陣は、諸政務の遂行と同時にまず金穀の確保に奔走しなければならないこととなった。