函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第1章 維新政権成立期の胎動

第1節 箱館裁判所(箱館府)の設置

1 政権交代


最後の箱館奉行 杉浦兵庫頭 杉浦俊介蔵

 ところが3月20日ロシアの蒸気船で江戸の荒木済三郎から、「箱館表の儀、御警衛諸家へ御預の儀其地於取斗、諸事不都合無之様取始末致し、其方始付属役々引纏一旦帰府候様」(前掲「橋本悌蔵箱館行御用留」)と、蝦夷地警衛の諸藩へ箱館での所置を任せて、兎に角江戸表へ帰るようにとの幕閣からの指令書(3月11日付)が届けられた。これは荒木済三郎が杉浦兵庫頭の決意を無視し、蝦夷地の治安より幕吏の身の安全のみを考慮した「箱館表御警衛諸家江御預ケ御恭順ノ御趣意を被為表、一先奉行始附属役々引揚方ノ儀御決評被為在、速ニ御下知御座候様仕度……箱館表於テ管只御下知相待居一日千秋のことく渇望罷在可申」(前掲「橋本悌蔵箱館行御用留」)との副申を添えたために出された指令であった。
 そこで兵庫頭は、奉行所御雇で蝦夷地の事情に精通している鈴木陸治と今後の方針について相談、(1)京師布告書は布達しないこと、(2)当地の所置については市在へ触書をだして、民情の安堵を図ること、(3)同心足軽の不安を取り除くこと、(4)これ以上箱館にある穀物を江戸に輸送しないこと、(5)政事は1日たりとも止めることは出来ないこと等を再確認、3度目の上申書を書き上げ、江戸へ戻る橋本悌蔵(4月3日朝ロシアの蒸気船で出函)に託した。その上申書には、幕府の現地責任者として最後まで任務を全うしようとする覚悟が被瀝されており、蝦夷地の警衛を諸家へ肩代わりして帰府するならば、市在の混乱を一層助長することになるのは必至で、特に場所詰役々の総引上げを実施した場合は、北蝦夷地に雑居するロシア人が南下蚕食するおそれが増大し、国土を失うことにもなりかねないので、朝命を受けた人々が派遣され、彼らに引渡しを完了するまで引上げる意志は無いと言い切っている。もっとも兵庫頭は、松前藩から新政府の鎮撫使が下向するという情報を3月3日には「公卿清水谷隆政なるもの長州人六七百人を護衛として蝦夷地箱館松前鎮撫使被命、二月二十八日頃兵庫出帆ニテ可相越ノ旨、京都二月二十二日付同家重役よりノ書状昨夜着ノ由」(前掲「日次記」)という形で得ており、平穏引継には自信を持っていたと思われる。
 京都から鎮撫使下向の情報を松前藩が入手したのはかなり早い時期であったようで、有力商人の耳にも届いていたのである。「慶応四年伊達林右衛門店行司御用留」(河野常吉資料 道図蔵)の3月1日の記事に、江戸からの急飛脚(江戸発2月12日付飛脚便で松前へは2月30日着)が到着し「今度京都より御勅使御三方、清水谷様・高野様外御一任様へ、右付添として薩長土御三方御人数惣勢凡六百人程御下向」となったので、旅宿の手配を指示されたとある。京都において2月27日提出された清水谷公考・高野保建連署の蝦夷地鎮撫の「建議書」が取り上げられ、太政官代において蝦夷地開拓の可否が初めて諮詢されるのが3月9日であるから、いかに早い情報であるかがわかる。松前藩は、清水谷・高野両卿が蝦夷地開拓に関する「建議書」を提出する以前から、彼らの側近との接触があり、手に入れた情報と思われ、以後松前藩は、箱館奉行所から箱館裁判所への平穏引継に、潤滑油として大きく貢献する。
 次いで杉浦兵庫頭は先の治政方針に沿って、3月21日市在に対し触書を出し、「朝命次第諸事穏ニ引継引拂候儀ニテ、市在人民聊迷惑不相成様取斗候事ニ候条、此節柄自然彼是掛念致し候もの有之候テハ不相成候間、安心致し弥家業出精可致候」と、朝廷からの命令次第で穏便に引き継ぎを行う予定であるが、それまでは人民がいささかも迷惑を被ることなく、不安も惹起することのないよう取り計らうので、安心して家業に励むようにとの施政方針を示して民情安定に努めた。また支配下諸役人へも同様に指示すると同時に「朝命ニ随ひ箱館蝦夷地支配いたし候諸侯ニおいても素より広大の場所ニ付万件取扱候ニも詰合役々無之候テハ行届間敷、重役は格別、吏務ニ至り候テハ、事馴候もの共召仕候方可然哉と被存候、右ハ松前氏より場所引渡しの節も同家より御抱ニ相成候人々も多分有之、足軽ハ一同新規御抱相成候程の次第ニ候間、右の段忠告の上当地ニ在住致し度ものは、定役元〆以下足軽手代共ニ至り候迄引渡し候存寄ニ候」と、朝廷に任命されて広大な蝦夷地を預かる人が任務を全うするためには、事務に慣れた人々を任用しなければならないと考えるので、引き続き蝦夷地で任務に就きたいものは、箱館が松前藩の手から幕府直轄となった時のように、仕事と共に人も引き継ぐこととなる思うと述べ、引継ぎ後の円滑なる経営継続と下僚の活計への配慮を示した。さらに「抑蝦夷地全州ノ儀ハ皇国外患第一ノ土地ニ候間、我酬寡ニ乗し万一渠より鎮撫を受候様ニテハ御国体ニ拘り、天地間不可容ノ大罪と深く痛心致し候」と、蝦夷地は外国の脅威に最もさらされやすい地で、我々の統治が十分でないまま万が一外国の侵略を受けるようなことがあれば、これほどの大罪はないと考えると述べ、蝦夷地経営の重要性を強調、そのためにも人民を動揺させないよう市在安堵の取締りが肝要と指示した(前掲「橋本悌蔵箱館行御用留」)。
 なお、橋本悌蔵に託した兵庫頭の上申書は、4月10日悌蔵から幕閣へ提出され、14日「書面ノ通可心得」との指令があり、兵庫頭の決意は承認された。兵庫頭も閏4月5日に入港したプロシア国蒸気商船ロワ号がもたらした4月16日付御用状でこのことを確認した(「日次記」)。