函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編1

通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世

第5章 箱館開港

第9節 海面埋立と溝渠新設


堀川乗経

 箱館において広大な面積を占める砂頸部の地には、当時地蔵町の一部分を除けばほとんど他に市街はなかった。これは飲料水に乏しいのと、湿地が多かったためで、地蔵町の人々は、ただ1つ豊富にわき出す高田屋の掘抜井戸に集ってこれを汲み取ったという。そこで願乗寺(いまの西別院)の堀川乗経はこれを慨嘆し、安政6年本山の許可を受けて官に出願して新渠を開き、亀田川の水をひいてこれを港内に転注し、同年11月に竣工したが、溝渠延長は1,580間、橋を架けること8か所、総費用7,300余両を要した。俗にこれを願乗寺川または堀川と称し、住民に3つの利便を与えた。第一は飲料水を沿岸の住民に与えたこと。ただし流水のこととて汚物が混じたので人々は朝早く汲みとったという。第二には沿岸湿地の排水をよくし、乾燥させたため居住に適するようになったこと。第三には小舟がこの溝渠を遡(さかのぼ)り、運輸の便を助けたことなどが挙げられた。このため人々もようやくこの溝渠の付近に集まり住むようになり、また願乗寺でも少なからぬ土地を賜わり、これを希望者に割渡して家屋を建てさせた。しかし、この溝渠はその後泥砂を港内に流し込み、海底を埋めて大害を醸すに至ったが、水道敷設以前の市街発展のためには大きく貢献している。万延元年12月、幕吏鈴木茶渓(重尚)が碑文を撰して建てられた碑は、いまなお同寺の境内にある。