函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編1

通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世

第4章 松前家復領と箱館

第5節 当時代の箱館事情

 『箱館風俗書』によると、概略次のごとくであった。
 
正月元日 市中一同休業し、主だった者は裃を着し、一般の者は羽織を着て、親類ならびに最寄りの得意先などへ年賀に回った。名主問屋小宿、両浜請負人、市中町代、御目見得町人は役所へ年賀の上、年礼に回った。
同  二日 町年寄は市中家並年礼につき、各自若党、草履取を召し連れ、外に物申(ものもうす)もの二、三人を差出し各戸に年礼をした。各戸では表に出て土下座して町年寄の年礼を受けた。
 商人は店開、蔵開(くらぴらき)と唱え、諸品の売買をにぎやかにする。また囲船水主は、乗物と唱え、小船で海岸を乗り歩き、拍子をとってにぎやかに祝うのを例とした。
同  三日 社中(神主)が市中年礼につき、装束をつけ、若党、草履取、挟箱、葛籠、打物等、そのほか物申裃着用の子供五、六人を召し連れ回礼した。
同  四日 寺院の一同市中年礼も右に同じ。
同  七日 役所表座敷において寺院ならびに市中社家が出頭、礼を述べ、扇子および祓札を献上する。
同十一日 当所初御神楽として市在の社家が揃って役所で祈祷し、次に町年寄宅で神楽をあげ、次いで市中主だった者の家々へ回る。問屋小宿、請負人並に主だった者は帳祝いと称し、召使の者および懇意知音の者を客として睦まじく祝う。
同十五日、十六日 この両日の内、諸職人は家業を休み、奉公人にはその家々の風によって休暇を与えた。
二月初午 市民のうち稲荷社を有するものは旗を建て、懇意先の子供らが集まり、太鼓を鳴らして祭をした。
同十五日 宗門人別帳を清書し、市中町代から町会所に差出し、町年寄名主立会の上検査し、総町家数、人別を昨年の帳面に照合、家数見競書(みくらべしょ)を添え提出する。
三月一日 雛を所持するものは本日から三日間雛祭りをする。
同  三日 節句につき扶持家ならびに町年寄用達名主、目見得町人まで錦小袖、麻裃を着し、役所へ挨拶に行く。
四月八日 薬師山仏参につき小旗などを建て、男女登山参詣し、三十三観音をも巡詣する。この三十三観音は天保三年許可を受け、西国三十三観音の土砂を少しずつ請い受け、これを箱館山三十三個所に配布して観音を建て、天保五年四月成就したものという。
五月朔日 市中貧富の別なく、この日から五日まで幟(のぼり)を建てる。この日から四日まで市中節季につき取引勘定もする。当月中子供らは大抵鳴物をつけた紙鳶(たこ)を揚げる。
同  五日 節句につき扶持家、年寄、用達名主、そのほか目見得町人まで染帷子(かたびら)を着し役所に礼に出る。この日は、近在の者どもが馬を当所に引いて来て、桝形外から内澗町通り辺まで競馬をした。後には市中乗馬は危険なため亀田で行うようになった。
六月朔日 氷室の御礼として扶持家ならびに一同前と同様、かつ定例暑気伺いとして扶持家は肩衣、目見得町人まで平服羽織袴で役所に出る。
七月七日 七夕祭で寺子屋の子供らが各自額灯籠を差出し、柳に色の短冊を結びつけ、前日から師匠の宅に集まり、太鼓や笛を鳴らしてはやしたてて町々を歩き、昼ごろ大額灯籠を海に流した。
同十日から十三日まで、五月同様節季につき取引勘定をした。この日から十六日まで聖霊棚(しょうらいだな)と唱え、各戸仏壇の外に諸仏を祭る。また墓所へ家族一同が参詣、食物香華などを供えて祖先を祭る。
同十五日、十六日 職人、商人、奉公人などは、この両日を休日とした。
同月盆踊 十三日から二十日まで各戸軒下に灯籠をつるし、十四日夜五ツ時(午後八時)ころから、男女入り混り、色々の姿を装い、三味線太鼓、拍手ではやし立てて踊り歩き、また山ノ上町から手踊芸者が一組ずつ出て同様に踊り歩いた。
八月朔日 役所へ御礼として扶持家ならびに町年寄用達名主、そのほか目見得町人まで麻裃着用で出頭し、座敷で礼を述べる。
八月十五日 当所鎮守八幡宮の例祭で、市中の社家が集まり、神輿の渡御、すなわち同社から行列を繰出し、役所門前に行き、祈祷し、更に弁天町および地蔵町の御輿御旅所で神楽祈祷を執行する。この祭礼については全市四組に分かれ、祭山と唱え、弁天町大町内澗町山ノ上町から船山、大黒山、蛭子(えびす)山を出し、前日から社の境内に飾り、神輿渡御の際は行列のうしろにしたがい、山々にははやし方をつけて引き歩き、市中家ごとに神灯を軒に下げ、市在の人民が群集するため町方足軽多数が付き添い警固した。
九月九日 役所へ礼のため扶持家ならびに目見得町人まで、帛紗小袖麻裃を着用して出頭した。この日は七月同様節季につき取引勘定が行われた。
十月六日、七日、八日 この三日間は市中人別下改めと唱え、町割に応じ町代らが町役所に詰め、前年の人別下書と引合せ、出入ならびに増減の下調べをした。
同十六日、十七日、十八日 この三日間は宗門人別御改と唱え、町割日限の通り人別の者どもが役所に詰め、当所奉行日付役ならびに町年寄名主町代が出頭し、百姓帳頭人の者を一人ずつ呼び出して家内読み合わせ、寺判を受取ってこれを改めた。この時多人数が群集するため、混雑しないよう、町方足軽両人が出て取締った。
同月二十日 蛭子講と唱え、場所請負人その外、漁業渡世の主だちの者は神前に酒を供え、知音の者などを招いて祝うことを例としたが、天保倹約令の後は祝事の質素を守り、多く家内のみで祝った。
十二月二十五日 市中収納廉々取立てを終り、役所に上納した。御用留と称し、役所では請願書などは取扱わず、但しさきに差出してあるものは時宜により取扱うこともあった。
同二十八日 役所へ歳末の礼として扶持家ならびに目見得町人まで、裃を着用して出頭、御祝儀として礼を述べた。
大晦日 前九月同様、市中一同節季取引勘定をする。
(なお、節季勘定は五月一日から四日まで、七月十日から十三日まで、九月九日、大晦日の四回であった。)