函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編1

通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世

第2章 松前藩政下の箱館

第2節 松前藩の再生産構造と箱館港

 しかるに亀田の港は亀田川の河口にあり、そのため砂や泥が流出して港を埋め、大船の多くは亀田にらず箱館に入るようになって、亀田の住民はしだいに箱館に移転するようになった。ことに元禄15年7月の大暴風雨により、亀田川は大洪水を起こし、畑作物が全滅したばかりか、この年は本州の凶作と相まって米の輸入が乏しく、住民は未曽有の飢餓に困窮した。しかもこれが翌16年6月にも続いて大洪水となり、亀田番所の役宅もなかば流失し、高龍寺の境内は崩れて寺院が倒れ、村内各所の橋梁(りょう)は墜落、民家30戸を流失するという大災害に襲われた。これがため、亀田の住民で箱館に移る者はますます多くなり、その後、宝永3(1706)年には高龍寺、同5年には称名寺箱館に移った。またこのころ八幡社や、弁財天社などを修造し、泉沢の浄玄が移転したことからみても、この災害を契機として、箱館がいかに急激な繁栄をみたかが察しられる。