札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第8巻1 統計編

Ⅲ産業・経済

8 交 通
 第247~269表は,札幌市に関わる交通関係の統計表である。
 交通機関は,札幌とその他の地域を結ぶ鉄道,市内の連絡機関となる人力車・馬車や馬鉄・電車・バス,そして個人的交通機関となる自転車や自家用車などがある。それらについて主に『北海道庁統計書』から,現在の札幌市域に関する統計数値をとりあげた。なお戦後の統計数値については,市営交通,タクシー,国鉄~JR,自動車保有台数は『札幌市統計書』の「主要指標長期時系列」で,定山渓鉄道,国鉄バスその他のバス会社,丘珠空港や千歳空港の利用状況は,同書の「運輸及び通信」で明らかになる。
 
幌内鉄道・北海道炭礦鉄道・日本国有鉄道
 第247~254表は,1906年(明39)鉄道国有化法案の成立により,国有化した鉄道路線の運輸状況を示したものである。
 札幌初の鉄道は,1880年(明13)に開通した幌内鉄道である。その鉄道事業は,最初は官設の幌内鉄道であったが,89年北海道炭礦鉄道会社に払い下げられた。その後,鉄道国有化法の成立で1897年国有化され,戦後1987年(昭62)JR北海道となる。
 統計数字は『北海道庁統計書』を主に利用したため1886年以降となるが,『北海道鉄道百年史』(上)には,1880年の開業以来の成績が紹介されている。また北海道鉄道管理局・札幌鉄道局などが発行した『月報』『年報』などにはさらに詳しい項目が掲載されている。その他各図書館などの目録から,北海道鉄道管理局・札幌鉄道局発行の『駅勢一覧表」(道図),『各駅要覧』(北大図),『貨物関係駅勢要覧』(北大北方,樽商大,道図),『貨物統計年報』(北大北方,樽商大),『貨物輸送概況』(樽図),『管内概況』(樽図)があることがわかる。
 また『北海道鉄道百年史』にはこのほか主要参考文献として,『鉄道院年報』(1908~19)『鉄道省年報』(1920~25)『鉄道院統計資料』『帝国鉄道庁統計図表』『鉄道院統計図表』『鉄道省統計資料』『鉄道省統計年報』『国有鉄道陸運統計』『鉄道統計資料』『鉄道統計年報』『鉄道統計年表』『鉄道貨物年報』などが列記されている。
 
地方鉄道
 第255~258表は,定山渓鉄道と北海道鉄道の札幌に関する統計表である。
 定山渓鉄道は,1918年(大7)鉄道院線白石駅~定山渓駅間に開通し,29年(昭4)東札幌~定山渓間が電化された。その後バス運送の発達による鉄道経営の圧迫や札幌市営地下鉄南北線への路線用地売却などのため,69年(昭44)鉄道営業は取り止めた。
 北海道鉄道会社は,1926年(大15)には苗穂駅と沼ノ端駅(現苫小牧市内)間を開通させた。この路線は,42年(昭17)鉄道省に買収され,国鉄千歳線となる。しかし北海道鉄道の営業は現在の札幌市域以外にも及んでおり,現在の札幌市域にある駅の成績だけを示した。
 
市内軌道とバス
 第259~263表は,現在の札幌市内に営業した馬鉄や電車の軌道と,バスなど市内交通機関の統計表である。
 札幌石材馬車鉄道合資会社は,1910年(明43)から当時の札幌区内に馬車鉄道を開通させ,11年札幌市街鉄道株式会社,12年札幌市街軌道株式会社,16年(大5)札幌電気軌道株式会社に改称し,18年北海道博覧会開催を期に電車に切り替え,27年(昭2)札幌市が買収し,市営電車となる。
 札北馬車軌道株式会社は,1910年1月北5東1~茨戸間を開業し,12年札幌軌道株式会社と社名変更し,34年国鉄札沼南線の開通で競合路線となり廃業し,バス事業に転身した。
 軽石軌道株式会社は,22年軽川駅(現手稲駅)と石狩の花畔を結ぶ路線を開業した。36年頃まで営業を続けるが,39年廃業した。
 札幌温泉電気軌道株式会社は,29年藻岩村円山3丁目(現南1西23辺)と温泉下(現界川辺,当時札幌温泉があった)の間を開業した。30年札幌郊外電気軌道と改称したが,変電所の火事や代替のガソリン車の故障などで34年営業を停止した。
 市営バスは,30年市内3路線で営業を開始し,順次路線を増設し,32年には札幌乗合自動車会社を買収して営業路線を拡大していった。
 省営バスは,32年12月の鉄道会議で路線選定が開始され,札幌関係では,34年鉄道の函館本線の補助的路線として苗穂~手宮間(44キロメートル)が開業した。開業当初は苗穂~手宮間4往復,札幌~軽川(現手稲)間2往復であった(北海道鉄道百年史 中 1980)。
 定山渓バスは,定山渓鉄道株式会社が32年から札幌駅~定山渓間の営業をしたものである。
 観江バスは,札幌軌道株式会社が,33年から茨戸~下当別間の営業をした。軌道廃止後は,35年札幌軌道バス株式会社,さらに札幌観江バス株式会社として営業した。43年企業合同により北海道中央乗合自動車株式会社となって現在に至っている。
 
諸 車
 第264~269表は,上記したもの以外の交通機関に関する統計表である。それには,人力車・荷車や馬車・牛車,それの冬季用である人力橇や馬橇,そして現在にまでつながる自転車・自動車がある。
 
統計表から
 6つのグラフは,第251表から,現在札幌市内にある駅から6駅をとりだし,発着貨物のトン数を比較したものである。詳しい数字は統計表を参照のこと。
 札幌駅で特徴的なことは,発送貨物が10万トン前後を終始しているのに対して,到着貨物は10数万トンから40数万トンへ増加していること。それも1910年代後半の第一次世界大戦以降大幅に増加している。それに対し同じ札幌市内にありながら苗穂駅は,発送貨物は若干ずつ増加しつつある。到着貨物は札幌同様の傾向を示している。軽川駅は,札幌駅とは逆に発送貨物が到着貨物を大幅に超越していることが多い。琴似駅は,1920年代前半を境にして,発送超越から到着超越に転じている。白石駅は1920年代を境に取扱量が減少している。時代が新しくなるにしたがい減少しているのは,他の5駅とは正反対である。厚別駅は1909年や16年といった一時的な増加はあるものの,おおむね漸増傾向を示している。
 札幌駅と苗穂駅は,都市の消費を支えているために食料品や燃料の移入,工場の原材料などの移入が多いために,到着貨物の占める比率が多いと考えられる。それに対し軽川駅の発送貨物が多いのは,それまでの農業の成長に加え,畜産業の発達,鉱山の開業などを示しているようである。琴似駅の到着貨物の増大は,大正期半ばから日本製麻琴似亜麻工場をはじめとして工場がいくつも開業しており,その原料の移入増加を反映している。白石駅の発着貨物の減少は,大正後半期に2つのレンガ工場の閉鎖が反映している。厚別駅の1916年の増大は,日本麻糸厚別製線工場の開業,25年の増大は酪聯厚別仮工場のバター出荷,26年の減少はその製線工場の閉鎖と酪聯の主力を苗穂に移転したことが影響しているようである。白石や厚別のように貨物量の少ない駅は,2,3の工場の開廃業の影響を大きく受けることになる。
 

[グラフ] 札幌駅 苗穂駅 軽川駅 琴似駅

 

[グラフ] 白石駅 厚別駅

 
 最後に,札幌駅の発着貨物を1927年(昭2)の『札幌市統計一班』から例示しておく。「其ノ他」を除く73品目のうち,発送だけは海藻類,到着だけは枕木・薪・鉱・礦物・銅線・煙草・大豆粕・魚肥・繭・染料顔料及塗料・燐寸類の11品目,ほか61品目は発着両方に登場する。移出超過となっているのは,燕麦・豆類・生馬鈴薯・玉葱・菜種・海藻類・味噌醤油・清酒・麦酒・清涼飲料水・綿類・絹織物類・畳表類・鉄及鋼製品類・鮮肉・牛・馬,つまり農業産品と工業製品と家畜である。他の45品目は移入超過である。そのうち1000トン以上の移入超過の貨物は,米・大豆・柑橘・其他ノ果物類・亜麻茎・藁及藁製品・其他ノ木材類・木炭・薪・石材・骸炭・石炭・鉄及鋼・銅線・塩・塩乾魚・活鮮魚・小麦粉・砂糖類・麻苧類・セメント類・煉瓦・硝子及其製品・洋紙である。食料品関係・燃料・工業の原材料・建築資材などが多くなっている。