札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第8巻1 統計編

総 説

北海道庁成立以前
 開拓使における文書編纂事業の開始時期については明らかではないが,1872年(明5)11月には太政官正院の求めに応じて,記録文書類が取りまとめられつつあったことがわかっている。73年6月本支庁宛に「向来使中諸書類都テ本庁記録課収集シ緊要ノ項追々編製ノ筈ニ付各支庁諸課書類毎月初前月分ヲ謄写シ本庁記録課ヘ逓送致ヘシ但原書ハ其庁ニ保存シ順次編纂後考ニ供スヘシ」(『開拓使事業報告付録 布令類聚』)との達が出されていることから,文書収集・編纂事務は,庶務局記録課が行っていたものと思われる。
 1875年11月「開拓使職制並事務章程」が施行され,翌12月達書無号「開拓使職制章程」で,各課の分掌する事務が体系的に示された。会計局に統計課が置かれ,その職掌は,歳入歳出及び戸口物産等一切の統計を掌る(第一)ほか,院省から条目を掲げあるいは書式を添えて調査開示を求められたときはこれに応じること(第十),各支庁諸局から出される表記を集めて統計表及び管内一覧表を作ること(第十二)とされた。1876年9月13日,統計課は統計表の編纂事業を開始した。
 
   今般会計局統計課ニ於テ,八年七月ヨリ九年六月迄ヲ全年トシ(会計年度ニ因ル),諸費ヲ計算シ及使務ノ課程管内ノ景況,諸政ノ統計ヲ公報センカ為,諸般ノ要件ヲ蒐集シ,該表並管内一覧表ヲ編纂致候間,別紙例目ノ件々精密収調差出ヘシ(丙第148号達)。
 

表 札幌市部および諸町村の変遷図

 
 これは会計局統計課が該(概)表ならびに管内一覧表を編纂するために,各局に取調べを命じたもので,達文中の「別紙例目」すなわち「統計表及管内一覧表編纂要目」によると,調査項目は76項にわたっていた。開拓使時代の統計書としては,現在『開拓使一覧概表』が1876年(明9)から78年(明11)までの三年分残されている。会計局統計課は,1881年7月16日に会計課統計係と改められた。
 1882年(明5)2月8日「開拓使の廃止,函館・札幌・根室三県の設置」が布告され,3月16日札幌県庁が開庁した。同日乙第1号で「札幌県分課章程」が定められ,庶務課に統計係がおかれるとともに,統計係の分掌は,本県統計及び一覧表(第1条)と,政表(第2条)を作ることとされた。同年8月統計係は廃止され,庶務課の編輯係に併合された。
 1883年12月乙第225号「県治集成表料例則」が定められ,同時に「…明治九年十一月旧開拓使本庁甲第弐拾九号布達各港出入船装載物品届,仝丙第弐百五拾九号達輸出入物品表,仝十一年五月仝乙第弐拾四号達管内一覧表,仝年二月仝丁第拾三号達物産表取調,仝十三年四月仝丁第四拾五号達年表,仝十五年六月本県乙第七拾六号達改正物産収穫高並牧畜一覧表式,仝年八月乙第五拾壱号達五十石以上船舶員数調,仝九月仝乙第六拾九号達戸数外弐拾壱表,仝十月仝乙第七拾三号達魚網漁船調…」(乙第226号)が廃止された。「県治集成表料例則」は例文が省略されているため,詳しいことはわからないが,従来各課で編集刊行してきた諸表を一括した,いわば統計材料例則だったと思われる。「県治集成表料例則」はその後,1884年3月1日(乙第51号),同年9月23日(乙第239号)と追加改正された後,1886年7月17日に廃止(丁第4号)された。
 札幌県時代の統計書としては,1883年に『明治十五年札幌県統計概表』が刊行された。凡例には「旧開拓使嚢ニ一覧表ノ挙アリト雖モ目次ヲ立編纂スルハ本書ヲ以テ創始トス」と記してある。これに続き,85年に『明治十六年札幌県統計書』が刊行されている。凡例には,84年9月内務省統計課草案による府県統計書様式に倣いつつも,他の府県とは異なる事物や部類科目があることを断り書きしてある。
 
『道庁統計書』とその周辺の刊行状況
 1886年(明19)1月26日北海道庁が置かれた。道庁は四部に分けられ,「記録編輯統計報告ニ関スル事項」は第一部の職掌と定められた。この後,統計事務は機構改革にともないたびたび主管部課を変えている。86年2月22日事務分課の制定により,「統計,報,報告,記録ニ係ル事」は庶務課の分掌となり(無号),翌年5月の処務細則(訓令第28号)では「統計ニ関スル事」は記録課の分掌となった。91年7月24日官制改正(勅令第111号)で,道庁に長官官房が置かれ(第十六条),統計事務は長官官房が行うことになった。長官官房の分掌は「一 官吏ノ進退身分ニ関スル事項,二 文書ノ往復,三 官印庁印ノ管守,四 記録編輯統計報告ニ関スル事項,五 外国人ニ関スル事項」(第十七条)と定められた。97年10月の官制改正(勅令第392号)では,長官官房の分掌のうち,記録編輯統計報告に関する事項と外国人に関する事項が内務部に移されたが,1905年の処務細則(訓第466号)で,再び統計事務は長官官房に移るとともに,統計課が置かれた。07年3月長官官房統計課は統計係となり(訓第318号),10年統計係は長官官房の文書係に併合された(訓第641号)。
 『第一回道庁統計書』は,1888年(明21)11月5日に創刊された。これに先立ち,道庁では庁内及び道庁施設に対しては「統計材料様式」を,郡区役所に対しては「統計書様式」を定めて,統計材料を収集し始めた。
 まず庁内に対しては,1887年1月27日に各部,札幌農学校,炭礦鉄道事務所,紋鼈製糖所宛に「統計材料様式」を定め,「統計材料明治十九年分(炭礦鉄道事務所ヘハ明治十九年度分)ヨリ別冊様式ニ準シ取調毎年期限ノ通差出ス」(達号外)ことを求めた。
 1896年6月17日には,新たに「北海道庁統計書材料様式」(訓第164号)が定められたが,実質は87年「統計材料様式」の改定とみてよい。1903年2月26日「北海道庁統計書材料様式」(訓第192号)が改正された。これらは,いずれも例文中の別冊が省略されているため,詳細は明らかでないが,1887年の制定以来数回の改廃を経て,94年に適用されていた材料様式は29項,97年では201項,1903年では279項と,調査項目を大幅に増やしている。これら統計材料様式は,内閣統計局への報告材料としても使われていた。
 また郡区役所に対しては,1887年6月6日「北海道庁統計書様式」(訓令号外)が定められ,1892年1月23日「北海道庁統計様式」(訓令第3号)と改定された。87年様式は別冊が省略されているため明らかでないが,92年には35表式からなっていた。汎則に「統計諸表記載ノ事実ハ本庁統計材料ニ供スルハ勿論兼テ内閣並内務省ヘ進達スル報告材料ニ供スヘキナルヲ以テ其調査最モ周密ニシテ錯誤脱漏ナキヲ要ス」とあり,郡区役所からの報告は,本庁の統計材料とするほか,内閣や内務省に進達する報告材料をも兼ねるようになった。96年6月5日北海道庁統計様式が改正され(訓令第30号),汎則からは内閣や内務省への報告材料に供するという条文が削除された。様式は23表式に減り,同月9日「内閣統計材料様式」(訓令第147号)が別に38項定められた。
 
北海道庁統計規程
 1892年(明25)11月21日北海道庁統計規程が制定された(訓令第265号)。この規程によって,道庁の統計事務の最高責任者として統計主任が置かれ,庁中各課及郡区役所,集治監典獄分監,監獄署,札幌農学校,尋常師範学校,尋常中学校,函館商業学校には統計委員若干名が置かれた。統計主任と統計委員の任務とは,次のようであった(以下抜粋)。
 
  第四条 統計委員ハ常ニ統計材料ノ蒐集ニ注意シ其調査ノ迅速ニシテ正確ナルヲ保スヘシ
  第六条 庁中各課ニ於テ統計事項ノ参照ヲ要スルトキハ之ヲ統計主任ニ求メ直接他ニ照会要求スヘカラス
  第八条 庁中各課ニ於テ発スル文書ニシテ統計ニ関スルモノハ一切其原料ヲ添付シ統計主任ニ合議スベシ
  第九条 統計主任前条ノ合議ヲ受ケタルトキハ材料ノ当否計数の正否ヲ査閲シ検了ノ認印ヲ捺シタル後ニアラザレバ他ニ発送スルヲ得ス
 
 ここではまず,統計委員による統計材料の収集については,迅速かつ正確であることが原則とされた。庁中各課で統計事項について不審な点があった場合は,統計主任に照会することとし,それ以外のところへは照会要求してはいけないとされた。照会要求の道が一本に絞られたことは,道庁の統計方針を,各課施設に徹底させることにつながったと思われる。また庁中各課が提出する統計文書には,必ずその材料を添付することとされ,統計主任によって材料の当否,または計数の正否が検討された。そして統計主任はこれら査閲の検印を終えなければ,その統計文書を他に発送することができなかった。この規程は統計改善の道を開くものと評価され,『統計学雑誌』(第80号),『統計集誌』(第138号)でも紹介された。

表1 北海道庁統計関係書の残存状況


[表1 北海道庁統計関係書の残存状況]

注1 発行年月は1876~1908年は( )、1909~47年は( )なしで示した。
 2 ―は刊行されていないと考えられるもの。…は刊行されたか否か不明のもの。?は前後年の刊行状況から刊行されたと考えられるもの。
 3 1882~85年は3県(函館・札幌・根室)のうち札幌県のみの記載にとどめた。
 4 1882~85年の勧業年報は、第1~3回は『札幌県勧業課年報』、第4回は『札幌県勧業年報』。
 5 1893~95年の『道庁統計書』に相当するものとして『北海道庁統計綜覧』(1896年刊)がある。
 6 勧業年報第11~14回は『北海道庁拓殖年報』。
 7 衛生年報は、1901年は『北海道衛生年報』、1902~05年は『北海道庁衛生年報』。
 8『道庁統計書』は、第18回以降4巻構成になっている。第18~20回は、第1巻 土地戸口其他、第2巻 勧業、第3巻(1)学事、(2)警察・衛生・監獄、第4巻 累年統計及附録(第19、20回は累年表及附録)であり。第4巻はいずれも未見である。第21~56回は、第1巻 土地戸口其他、第2巻 勧業、第3巻 学事、第4巻 警察・衛生。第21~44回の第4巻「監獄」は付録として掲載されており、第45回以降「監獄」の分野はなくなる。
 9 第21回第3巻「学事」の表題は「明治四十二年度北海道庁管内学事年報」。
 10 第50~52回第1巻は原稿。
 11 第53回第4巻は「警察」のみ。
 12 第54~56回第4巻は「衛生」のみ。
 
 道庁統計規程が制定された当時の道庁長官北垣国道は,鉄道をはじめとする交通機関の整備のほか,港湾の修築,拓殖の施設,排水運河の開削,米作の試験など殖民事業を推進した人物として知られる。なかでも米作の振興にあたっては,北垣長官と酒勾常明財務部長が熱心な奨励策を講じたが,その際に気象調査に関する資料を提供していたのが水科七三郎であった。水科は後述するように,気象データを統計分析することで殖民事業に活かしたほか,統計事業の改善にも力を尽くした。北垣の統計との関わりは,京都府知事時代の1882年から84年にかけて,東京統計協会の会員だったことが挙げられるだけで,協会の機関誌『統計集誌』からは,彼の統計学的見地を窺うことはできない。しかし少なくとも道庁長官時代には,水科との交流によって,統計に関する知識を吸収し,認識を深めた可能性が考えられる。
 1894年2月統計主任は統計委員長と改められ,「統計委員長ハ本庁高等官中ヨリ之ヲ命ス」との条項が追加された(訓第33号)。『第七回道庁統計書』には道庁統計委員長伊吹鎗造の署名で「緒言」が設けられている。
 
  …従来統計書ノ編次ハ,全編悉ク同一年ノ計数ヲ登載センコトヲ期ス故ヲ以テ其載スル所率ネ二年又ハ三年前ノ事実ニ属ス。蓋統計ノ効用ハ最新ニシテ最精ナルヲ貴フ。近歳報告ノ浸速ナルニ及ヒ編纂方ヲ改メ,最近事実ノ調査ヲ得シモノハ努メテ之ヲ登載センコトヲ図リ漸次歩ヲ進メ,遂ニ今回全編ノ過半ハ前年ノ事実ヲ登載スルコトヲ得タリ。斯ノ如ク新精事実ノ過半ヲ編中ニ網羅スルニ至リシハ,拓殖事業ノ進歩ト社会需要ノ増進ニ伴ヒ,其調査担任者ノ能ク励精従事シタルニ職由セスンハアラス。冀クハ事ニ此ニ従フ者将来益力ヲ致シ,以テ拓殖ノ進歩ヲ翼ケ杜会ノ実用ニ供センコトヲ。
 
 これによると,「統計ノ効用ハ最新ニシテ最精ナルヲ貴フ」という認識が定着するにつれて,報告は迅速になり,編纂方法も漸次改められていたことがわかる。その結果『第七回道庁統計書』には,全編の半数以上について,前年の数値を掲載することができたのである。こうした統計改善は,調査担当者の職務の向上によるものであった。後述するように,北海道においては1887年4月札幌に創立した統計学研究会で,道庁職員水科七三郎によって統計学が紹介されると同時に,統計実務担当者への指導が行われていた。したがって『道庁統計書』にみる統計改善は,水科による統計学の普及活動の成果とみることができる。『道庁統計書』はこの後第8回は刊行されず,第9回以降継続して刊行されている(表1)。
 
北海道庁統計綜覧』の刊行
 1896年(明29)11月『北海道庁統計綜覧』が刊行された。これは1886年から95年まで10年分の地理,気象,戸口,土地,耕作,牧畜等29科目,497表にわたる統計表本編と,事務概況および沿革を記した付録からなる,1222頁におよぶ統計書である。「緒言」には次のように書かれている。
 
  明治十九年置庁已来茲ニ十年今ヤ…本道ハ将ニ進歩ノ第二期ニ入ラントセリ。而シテ此十ケ年間ニ於ケル進歩ノ景象ヲ表示シ得ルモノハ,当庁統計書及勧業年報ノ二書ナリト雖トモ,明治十九年以降法令ノ改廃ト共ニ統計様式ノ改正一再ニ止マラス為メニ対照比較ヲ為ス能ハサルモノ鮮シトセス。本書ハ現行ノ様式ニヨリ,十ケ年間ノ諸統計ヲ整理シ,累年ノ比較ニ便ナラシメタリ…
 
 このように『北海道庁統計綜覧』は,一定の統計様式により作成されたことから,対照比較が可能になったほか,「…従来刊行セル当庁諸統計ノ違算誤植等」(凡例)が訂正された。
 1898年11月『第九回道庁統計書』が刊行された。凡例には「本書ハ北海道庁統計綜覧ニ次キ主トシテ明治廿九年中ニ於ケル本道統計上ノ事実ヲ掲載シ…」とあることから,『北海道庁統計綜覧』がまさに第8回に相当するばかりか,過去10年分の統計書の総括的役割も持っていたことが裏付けられる。