札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第6巻 史料編1

一 村山家資料

 村山家は屋号を阿部屋と称し、代々石狩・札幌等の場所請負のほか、材木伐採、問屋小宿、廻船業を手広く営み、近世蝦夷地の歴史に大きな役割をはたし、多くの史料を今日に伝えた。その中から、石狩・札幌にかかわる文書記録を四項にわけて編集し、村山家資料と名付けた。
 
 「石狩場所経営文書」には、村山家が札幌の夏商場を請負ってから罷免されるまでの文書十二点をあつめた。件名番号一、二は明和年間の夏商場請負証文で、既に紹介済みの史料ではあるが、当時の請負制度を知るまたとないものなので巻頭に収録した。三は石狩山伐木の販路に、四は文化年間幕府直轄時の場所取扱にかかわるものである。五~八はその後の経営困難による家政整理、九は勇払から石狩への出稼ぎ、一〇~一二は石狩改革直前の場所運営にからむトラブルを伝えており、これらにより村山家の石狩・札幌の場所請負がかかえた問題の一端を知ることができよう。
 
 「石狩御場所御引渡之節於彼地書上之扣」は安政二年(一八五五)幕府の蝦夷地直轄に際し、村山家が箱館奉行所に提出した記録の控と思われる。内容に文政~天保期のものが含まれるが、他の調書とともに安政初頭の石狩の実態を概括するのに役立つ。「場処境小名里数他」は、安政五年石狩改革前後の調査であろう。札幌と周辺の地理、漁場と収獲高、伐木地、アイヌ撫育、鯡漁への出稼ぎ等をまとめており、前史料とあわせ利用することにより、石狩・札幌の理解をより助けるものと考え収録した。なお「石狩場所請負人村山家記録」(北海道立図書館蔵)に後者の写本が付いており、これが石狩町史資料第三号(昭和四十八年)として刊行されている。また底本にしたもののほか、北海道大学附属図書館蔵村山家文書にほぼ同文(異筆)の史料があり、これらと対校した。
 
 「石狩改革一件」は、長年つづいた場所請負制の廃止とそれにかわる新政策の遂行状況を、箱館奉行所や石狩役所の達触、村山家からの伺願等の文書によってまとめたもの。村山家が改革時に執務資料として編纂したものらしく、同一人の筆跡である。原本は半紙二つ折、紙捻による仮綴、墨付は三十九丁(表紙を含む)の小冊子ではあるが、石狩改革の概要を知りうる貴重な史料といえよう。
 
 言うまでもなく、村山家は最初日本海北部の蝦夷地漁業に従事し、のち飛騨屋の場所の仕事をし、その没落後を引き受けて大きくなった。だから初期の活動は飛騨屋の名で行っていたと思われる。村山家の石狩・札幌の場所請負について「村山家代々書」(文化七年=一八一〇写)「要用書」(文政三年=一八二〇)は初代伝兵衛の時としているが詳しくは伝えていない。また、天明~寛政期の「蝦夷草紙別録」、「西蝦夷地場所地名産物方程扣」、「西蝦夷地分間」に、上下サッホロ、シノロ、ナイホウが村山家の請負地として記されているが、これがどこまでさかのぼれるのか、どのような事情から請負が始まったのか、明らかでない。そうした点からも明和二年(一七六五)の証文は興味深い。
 近世の札幌を理解する上で、村山家資料は見おとせない重要性を持っている。とはいえ、これによって札幌の近世が各分野で詳細に判然とするものではない。広い石狩地域の中にあって、常に見えがくれする札幌、その札幌を石狩から抜き出して集中的に究明しようとしても、容易につかみえない状況こそ、近世西蝦夷地石狩の中における札幌の性格であり位置づけにほかならない。
 本巻に収録した史料の多くは北海道開拓記念館所蔵で、「村山家資料」という標題も同館のものによった。また、北海道大学附属図書館には約千五百点の「村山家文書」があり、そこから採録させていただいた分は所蔵機関名を末尾に〔 〕を付けて記しておいた。