札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5下

第十編 現代の札幌

第四章 岐路に立つモノづくり

第三節 製造業における企業の動向

三 出版・印刷業と木工業

 安田ベッド工業発寒木工団地に工場をもち、昭和三十六年から道産ナラ材を使った二段ベッドの製作をはじめており、四十八年から一般ベッドの一貫製作に進出している。五十年十一月十一日にカナダのマーシャル・ベンチレイテッド・マットレス社とベッドのスプリングに関する技術提携をはじめ、優れたスプリングであるポケットコイル製作機を貸与されることになった(道新 昭50・11・12)。
 札幌家具工業協同組合は、四十六年から毎年札樽家具新作展を開催するとともに、五十二年には札幌市教育文化会館完成の際に組合による共同受注に成功し、備品類を納入している。従来、札幌家具工業界と旭川家具工業界とは意見や利害が対立することが多かったが、五十三年から本州への売り込みを目的に札樽家具新作展と旭川家具新作展とを同時期に開催するようになった(北海道家具建具工業協同組合連合会 北海道家具・建具工業名鑑 平9)。旭川は本州向けが多く既製品製作が主なのに対し、札幌は道内向けが多く注文品製作が主だという違いがあるという(道新 昭48・10・18夕)。五十五年には、発寒木工団地内木工センター旧事務所を改造して組合員共同の新製品試作のための研究所とした。札幌の家具メーカーは、官公庁特注の事務机、学校机などの仕事が比較的多く、店頭売りの家具類は旭川家具に押され気味だという。そこで、組合員の新製品開発を促進しようということになった(道新 昭55・8・15)。
 札幌に特有の木工業としてスキー製作がある。道産スキーは、五十三年時点で北海道スキー工業会に一三業者が加入しており、たとえばドルショック以前は対米輸出数十万台を数えていた。これが、四十九年にはゼロとなり、以後徐々に回復はしているが、最盛期の輸出量には達しなかった。そこで北海道スキー工業会では「サッポロ」を統一ブランドとすることにし、絵はがき、パンフレットなどにより宣伝につとめ、いくつかの商談をまとめることに成功した(道新 昭53・3・31)。もっとも、統一ブランド維持は難しかったようで、五十六年二月の国際スポーツ用品見本市(西ドイツ、ミュンヘン市)では個別企業ブランドに戻している(道新 昭56・1・10)。
 スキー製造業者の経営は苦しかった。大正三年(一九一四)創立の寺尾スキー製作所は、昭和三十五年に(株)寺尾スキー工業となる(佐藤徹雄 北海道のスキーづくり 昭58)。五十年代には本州大手メーカーの下請としてスキー製造を行っていたが、五十三年一月、不渡手形を出し事実上倒産した(道新 昭53・1・31夕)。道産スキーのトップメーカーはハガスキーである。五十八年五月に行われたアンケート調査によれば、札幌での売上は本州メーカーに食い込み二位(八・一パーセント)だったという。「道産品は道内の雪質に合う」とも言われていた(道新 昭58・10・25夕)。しかし、本州大手メーカー、輸入物の圧力、スキーの高級化と技術革新についていくことは難しく、ハガックス・コーポレーション(平成三年一月改称)は平成三年二月二十八日、札幌地裁に和議を申請し事実上倒産した(道新 平3・3・1)。