札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第十章 戦後の宗教

第四節 戦後の新宗教

二 教派神道系の変化

 天理教は本部に直属する大教会(平成元年現在一五四教会)のもとに、系統の分教会が付属する構成であり、さらには分教会の中にも傘下(部内)の分教会をもつものもあった。札幌市域には大教会はなく、分教会のみであった。
 『札幌市統計書』によると、昭和三十一年の六二教会から四十七年の七九教会へと一七教会も増加していた。『天理教教会名称録』(平11)によると、旧町村を含めた現在の市域の教会数は、大正期まで五九、昭和二十年の終戦時まで七三あった。戦後は三十年までに七教会が新設されて八〇、以降四十五年まで一一教会の新設があり、合計で九一教会という数であり、戦後も多くの教会の創設をみていた。
 市内教会の付属が多い大教会は、四十五年現在では兵神(へいしん)(神戸市)が一五、敷島(奈良県桜井市)・雨龍(深川市)が八、洲本(兵庫県洲本市)・湖東(滋賀県八日市市)が七教会であった。一番多いのは兵神大教会であるが、これは市内に部内教会をもつ夕張(岩見沢市、市内部内教会数六)、空知(砂川市、同四)の両分教会が付属していたことによる。敷島大教会には明治四十年創設で、市内に六つの部内教会をもつ北海分教会(北3西13)があった。
 雨龍大教会は四十年四月二十六日に、南海大教会(和歌山県新宮市)より分離したものであり、市内の部内教会数は六であった。洲本大教会には明治四十一年創設で、市内に四つの部内教会をもつ統北分教会(南3西9)があった。
 夕張分教会は四十八年七月二十六日に、兵神大教会より分離し夕張大教会となる。網走分教会(網走市)が五十八年四月二十六日に、嶽東大教会(がくとうだいきょうかい)(静岡県沼津市)より分離して網走大教会となっており(市内の部内教会数は二)、道内の大教会は雨龍大教会を加えて三教会となっていた。
 本部直属の分教会が、市内には北蝦夷分教会(えぞぶんきょうかい)と全北道分教会の二教会がある。北蝦夷分教会は十九年に、樺太教区庁の併設教会(北蝦夷教会)として豊原市に設置されていた。終戦後は「未引揚げ教会」となっていたが、三十七年に本部より教会長を派遣して北蝦夷教会の復興がはかられるようになり、札幌にて三十九年に北蝦夷分教会として創設されていた。全北道分教会は北海道教区庁に十七年に併設されていたのが、同教会は四十九年に教区庁内より独立移転し、直属の分教会となった(天理教事典)。
 教会・信徒団体の活動で顕著であったのは、地域への奉仕活動である「ひのきしん」であった。毎年、五月十八日がひのきしんデーとされ、北海道教区札幌支部の主催で行われていた。『札幌市史 文化社会篇』には七年から二十五年までの二〇件の「ひのきしん」が挙げられているが、これ以降も二十六年に大通公園の地均し、バレーボールコートの新設作業、二十八年に円山公園の埋もれた池さらい、二十九年に市内八一三カ所の共同ゴミ箱の清掃などというような奉仕活動が、毎年行われていた。

写真-12 円山公園での「ひのきしん」(昭28)

 一般への教化活動では、二十七年六月二十七日から「ようきぐらし展」を三越デパートで開催し、「多大な感動を与えた」という(昭28道年鑑)。また、体育大会・夏期学校や「なおさんむ教会」と名付けられた、レクリエーション活動をとおしての教化活動も行われていた(昭30道年鑑)。北海道教区では、四十三年七月から『北海道教区報』を発刊している。