札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第十章 戦後の宗教

第三節 キリスト教の復興と戦後の宣教

三 変容する社会の中で

 戦前からの拠点を持たない教派にとって占領期の札幌は、首都圏・関西方面からすると津軽海峡を隔てた、なお遠隔の地であった。これが昭和三十年代後半(一九六〇年代)になると、イエス之御霊教会の数を割り引いても教会数では、戦前来の各教派の教会数と拮抗してくる。それらの諸教派の伝道拠点は、市内の中心部ではなく、多く新興の住宅地であった。その例を、後に教派として多数の教会を擁することになる日本バプテスト連盟の札幌バプテスト教会と北海道福音協議会北栄キリスト教会に見よう。

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写真-10 札幌バプテスト教会

 バプテスト連盟は北海道への開拓伝道を意図して、二十六年に宣教師らを調査に派遣した。札幌には翌二十七年五月に牧師鈴木正名、宣教師マリオン・F・モアヘッド、ついで宣教師アニー・フーバーが来札して伝道を開始した。伝道開始の年のクリスマスには早くも最初の受浸(受洗)者一一人を得、翌二十八年五月には、教会員三六人によって教会を組織し、十一月には現会堂(南21西14)が完成した。会堂建築資金の多くは、連盟及び連盟と協力関係にあったアメリカ南部バプテスト連盟のミッションが拠出した。
 バプテスト連盟の計画的な北海道開拓伝道によって設立された同教会は、三十一年には早くも自給独立を宣言するに至る。この間、市内はもとより小樽・旭川の伝道を担当し、三十五年六月の平岸バプテスト、四十六年の西野バプテスト両教会設立にあたって所属信徒を株分けした。同連盟はこのほか白石バプテスト教会を加えるなど教会数を増した。
 北栄キリスト教会は、北海道キリスト教会館(現北海道クリスチャンセンター。北7西6)で開催されていた英会話講座、バイブルクラスに集まった大学生・高校生を中心に三十年九月に創立した。当時新興住宅地であった北二二条西六丁目の宣教師宅が最初の礼拝の場所となった。
 北栄教会を指導したのは、OMF(国際福音宣教団)の宣教師で、戦前、中国大陸の伝道に携わっていたが、戦後、中華人民共和国の成立とともに中国宣教を断念して日本への宣教に転換し、日本では主に北海道を伝道地に選んでいた。OMFは超教派の伝道団体で教会が確立した後は、日本人牧師に委ねてゆく方針であった。北栄教会は、とくにOMFの計画的な開拓伝道ではなく、ここに派遣された宣教師アーサー・レイノルズ、ヒューバート・フィッシャーの指導の下に信徒が教会を形成していった。三十九年に専任の日本人牧師を迎え、新琴似の現位置(新琴似7-12)に会堂を新築した。この年はまたOMFが設立した超教派の神学校北海道聖書学院が白石中央に開校した。四十五年に同教会は、栄町伝道所を独立させた。北栄教会は、どの教団にも属さない単立の教会であったが、四十年、OMF関係の他の教会とともに北海道福音協議会(後に日本福音キリスト教会連合)を結成し、加盟教会を増していった。
 札幌に進出した諸教派の教会は、札幌バプテスト・北栄両教会のように所属教団、外国ミッションの支援によって誕生し教会として確立し、さらに関係の教会数を増やして地方組織を結成していった。また札幌は、道内への伝道の拠点でもあった。すでにこの時期-三十年以降-、プロテスタント、カトリックを問わず、札幌への進出、教会設立は、教派・教団の組織的支援態勢があれば困難ではなかった。どの教会も札幌の発展とともに周辺に向けて拡大していく可能性を持っていたのである。