第九編 大都市への成長
第十章 戦後の宗教
第三節 キリスト教の復興と戦後の宣教
一 戦後の復興と再編
敗戦は、札幌の諸教会にとっても、戦時体制の拘束からの解放、新しい活動への気運を促すものであった。敗戦時の札幌の教会とは、表2に掲げる諸教会である。この表には、戦時中、キリスト教再臨説を強調して治安維持法違反容疑ですでに解散させられていた教会(新生教会、セブンスデー・アドベンチスト)を含めている。札幌の教会は他都市で蒙ったような空襲による罹災、あるいは強制疎開によって会堂を破却されたところは無かった。ただ、札幌市内には陸海軍によって北光・大通・北八条・天主公教北一条の各教会が、会堂などを接収されていた。
これらの各教会にとって会堂への復帰、教会の再建がさしあたっての急務であった。単立の大通教会(独立教会)は九月に陸軍の接収を解かれたが、昭和二十年十月には占領軍のカトリック用の礼拝堂として使用されることになり、復帰は翌二十一年に持ち越された。その三月、同教会は名称も「札幌独立基督教会」に復帰した。北光教会は、十二月に会堂が返還され、同月二十三日復帰感謝会と聖誕節(クリスマス)礼拝を行って復帰を祝った。敗戦直後も続いていた礼拝前の国民儀礼(君が代斉唱、宮城遙拝)が、翌年には同教会の『週報』の礼拝順序から消えた。北一条教会では、宮城遙拝を二十年十一月になって廃止した。北八条教会の会堂、カトリックの北一条教会の伝道館も接収が解除された。 二十年十月七日に伊藤馨(新生教会)・金子未逸(セブンスデー)両牧師が、治安維持法廃止に先立って釈放された。伊藤は、同年十二月、教会結成式を挙げ新生教会の再建を果たし、金子は釈放後、伝道を再開した。セブンスデーの教会は、二十三年十一月に再組織された。 |