札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第十章 戦後の宗教

第二節 戦後の寺院と仏教

三 寺院の動向

 西区発寒川上流の平和の滝、並びに盤渓は市民の行楽地として利用されてきているが、両地には市内では数少ない修行の霊地があり、戦後には寺院も建立されていた。
 平和の滝に関しては明治三十五年の『小樽新聞』(明35・5・24)に、法華宗信者が修行していたことが報道されている。報道では住民によって修行者が、「山賊」と勘違いされて警察へ通報されたとしており、この頃から同地は滝行の修行地となっていた模様である。
 昭和初期の頃より仏教、神道の各宗の信徒による利用が盛んとなったようであるが、『北海タイムス』(昭9・7・11)によると、神道禊教(みそぎきょう)の添田正が昭和七年にここに白龍明神をまつり、信徒により毎年盛大な祭典が行われたという。地元では右股の滝と呼称されていたが、この時に養神の滝と命名されていた。真言宗徒は不動の滝と呼んでいたようである。写真5は昭和初期の神道実行教の大祭のものとされているが(日登寺百年史 昭50)、先の『北海タイムス』も同じ写真を掲載し、「『養神の滝』と白龍明神祭典の賑ひ」と説明しており、こちらの方が正しいようである。

写真-5 平和の滝と禊教の祭典『日登寺百年史』昭50

 日登寺(日蓮宗、山の手2-1)では、ここを法華修行の場とする運動を始め、十二年二月に付近の国有地の払下げ許可を得ていた。戦後は、経王寺(日蓮宗、豊平4-3)が札幌奥の院平和の滝道場建設を計画し、二十六年五月に日登寺から移譲を受け、八月五日に道場を建立している(六月五日に平和の滝と命名)。経王寺では三十年に本山の久遠寺より「北海身延」の称号を受けていたので、平和の滝道場北海身延奥の院として整備され、経王寺の団体、講中によって参詣が続けられていた。四十三年の失火により施設が焼失したために、再建して新たに大平和寺が創設となっている。
 盤渓の景勝地には、顕本寺(日蓮宗、菊水7-1)の奥の院が大正十五年八月に建立されていた。奥の院は修行の道場として利用され、また、湧出する法竜水、妙竜水が霊水として信仰を集め、昭和十四年には本堂も建立されていた。戦後は妙福寺として二十六年九月に寺号公称し、宗教法人の登記がおこなわれている(盤渓山妙福寺縁起法竜水ものがたり 昭49)。