札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第十章 戦後の宗教

第一節 国家神道の解体と神社

三 講和条約発効後の神社神道

 昭和二十六年四月三日、宗教法人法が公布、施行されたことにより、札幌神社をはじめとする各神社は、改めて北海道知事の認証を得て新法人となった。それを契機に、二十八年から三十年代初めにかけて、新たに上手稲神社、烈々布神社、水天宮、定山渓神社、瑞穂神社などが神社本庁に所属する宗教法人となった(神社庁誌)。これらの神社は、国家神道体制のもとではいわゆる無願社(市史第四巻 一〇六五頁参照)として扱われており、二十一年当時は法人化の対象にはなっていなかった。しかし、いずれも開拓時代から集落の鎮守社として氏子の崇敬心にささえられており、戦後社会が落ち着きを取り戻すなかで宗教法人としての設立要件を整えたものである。
 神社本庁は、この頃、単立神社に復帰を呼びかけて、神社界の大同団結を促す方針をもっていた。無願社の法人化もそうした流れのなかで、兼務神職が働きかけた結果と思われる。
 その一方、あえて単立法人を選択する神社もあった。神葬信徒による「祖先崇拝の信仰団体」である札幌祖霊社は、二十三年に札幌祖霊神社と改称し、二十八年に単立神社として宗教法人の認証をうけている。これは、戦前における神道本局との軋礫をふまえたものだった(札幌祖霊神社創立百周年記念誌)が、後に神社本庁包括神社となっている(昭47年)。また、法人認証は昭和四十年代以降になるが、厚別区内の無願社であった上野幌神社下野幌神社小野幌神社山本稲荷神社が単立神社となっている。
 上野幌神社の場合、移住者が山神の小祠を祀ったことに始まり、明治二十二年に「野津幌神社」と称し、大正四年に豊前宇佐神社の分霊を拝受してからは本殿、拝殿を新築し、さらに石造りの鳥居を建設するなど、氏子の崇敬心にささえられてきた。境内地五反余は、戦後の昭和三十四年に氏子六人の共有地として登記したが、転居や死亡により管理上の問題に悩まされることになり、四十三年に宗教法人設立をなしとげた(上野幌百年のあゆみ)。折から、大規模な住宅団地の造成が始まり、厚別の町は急速に変貌しつつあったが、上野幌神社は新住民を迎え入れ、この地の産土鎮守(うぶすなちんじゅ)として新たな歴史を刻むことになった。上野幌神社の法人化は、隣接する無願社に少なからぬ影響を与え、住宅団地の成熟と軌を一にして下野幌神社小野幌神社山本稲荷神社が単立神社となっている。