札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第九章 市民の文化と活動

第五節 出版・マスコミ

四 映画

 戦前より映画は「娯楽の王様」であったが、戦後まもなくもそれは変わらなかった。その映画人気にぞくぞくと映画館が建設され、二十五年には全道で映画館は一四〇館となり、この時点ですでに「映画館が多すぎる」(道新 昭25・11・12夕)という状況であった。
 表5は二十~四十七年までの札幌の劇場数を示したものである。年々増加の傾向にあるが、とくに二十九年以降急激に増加し、三十五年をピークに減少していく。この二十九~三十五年は、空前の映画館建設ブームであった。
表-5 戦後札幌の劇場数
館数
昭20 (1945)12
 21 (1946)
 22 (1947)12
 23 (1948)13
 24 (1949)14
 25 (1950)15
 26 (1951)16
 27 (1952)19
 28 (1953)22
 29 (1954)27
 30 (1955)36
 31 (1956)42
 32 (1957)45
 33 (1958)50
 34 (1959)52
 35 (1960)53
 36 (1961)51
 37 (1962)46
 38 (1963)42
 39 (1964)37
 40 (1965)35
 41 (1966)31
 42 (1967)30
 43 (1968)32
 44 (1969)32
 45 (1970)31
 46 (1971)29
 47 (1972)28
『札幌と映画』(さっぽろ文庫49)より作成。

 普通、映画館の数は人口二万人に対して一館が適当とされている(北海道映画史)。二十九年七月の札幌の人口は三六万人、映画館は二三館であるから、一万五〇〇〇人に一館という割合になる(道新 昭29・7・9)。翌三十年には三六館、一万二〇〇〇人に一館の割合となり、「東京以北一番の映画館の多い街」となった。終戦直後の一二館から、十年で三倍にまで増加したことになる。この頃になると、街の中心部にとどまらず周辺の住宅街にも映画館が建ち始め、ないのは白石、厚別、篠路、新琴似といった農村地帯くらいであった(道新 昭30・11・17)が、三十二年には白石にも建設が計画されている(道新 昭32・4・18)。
 こうした映画館の急激な増加の一方で、入場者数の減少が指摘されている。館数が増えたために観客の入場人員が減少し、全体の興行収入が増えているにもかかわらず、一館あたりの平均では約一割減少した(道新 昭30・11・17)。人員確保のために映画館の改築を行い、遊楽館のようにエアコンディション完備や託児室を設けたところもあった(道新 昭31・7・20)が、三十二年頃から閉鎖される映画館も出てきた(道新 昭32・9・11)。この年の九月一日、道庁前にあった松竹の二番館「エンゼル館」が契約切れと同時に閉館した。
 ちょうどこの頃、北海道放送(HBC)がテレビ放送を始め、三十四年には札幌テレビ(STV)が開局するなど、テレビという新たなメディアが登場したことによって、映画界への影響が問題とされるようになった(毎日 昭32・5・30)。表を見ても明らかなように、テレビ放送が本格化した頃の三十五年をピークに、映画館は減少の一途をたどっている。映画界にとって、正月の興行が大きな収入源となっているが、その興行に翳(かげ)りが見え出したのもテレビ放送が始まった頃と一致する(道新 昭33・4・19)。三十八年には不況の影響もあって四館が閉館、閉館後はスーパーマーケットや病院、貸事務所等に変わった(道新 昭38・7・2夕)。