札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第八章 教育の民主化

第三節 戦後教育の岐路と地域の教育問題

三 進学熱の高まりと高校増設運動

 急増から漸減に移る四十年に、道教委はピーク後の措置として「高等学校適正配置計画策定の基本方針」を決定した。前述した①の急増時の臨時増募分は四十一年度から順次漸減していったが、⑤の臨時学級増は、地方の反対などから計画はなかなか進まなかった。また③については、高等学校の多様化の一環として普通科に体育科・理数科・英語科・事務科などを置く計画が実施された。市内では四十三年に札幌啓成高等学校に理数科が置かれた。私立の北星学園女子高等学校でも英語科が特設された。また全日制指向・普通科指向が強まる中、道教委では、四十二年八月一日、定時制教育振興の立場から札幌南高等学校通信教育部を独立させ、旧札幌南高等学校に移転した。これはのちに北海道有朋高等学校となる。また四十五年からは、普通科対職業科の配置割合を五〇対五〇から五九・三対四〇・七に変更した。
 大学区制は、批判された問題が顕著に現れ始めた。例えば元札幌南高等学校長の牧野徹夫は、大学区制の次のような問題点を指摘している。すなわち、一流校への進学者は確かに増加したが、入学時点の成績から考えればもっとよくなっていいはずだということ、学校差が拡大したこと、下宿などが増え生活指導が大変になり、また政治活動に走る生徒もいること、男女比率がアンバランスになり、男子が多い高校と女子が多い地方校や実業校といった問題がでたこと、などである(道新 昭44・4・15)。道教委ではこれらの問題もふまえ、大学区制施行から六年目の四十七年八月に全道を二〇から三〇にわけ、また札幌も二から三にわける中学区制を打ち出すことになる。