札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第八章 教育の民主化

第三節 戦後教育の岐路と地域の教育問題

二 地域住民の学校教育への意識

 昭和三十年代に入って札幌市は合併を繰り返したため、小学校の完全給食実施率はなかなか高まらなかった。一方中学校は、三十五年現在で、一条・中島・美香保・北陵・向陵の五校が補食給食を実施しているだけだった(道新 昭35・11・27)。三十六年には市立の定時制高等学校である北海道札幌琴似高等学校と北海道札幌石山高等学校でミルク給食が始まり、三十七年五月には道立の定時制高校で無償の完全給食が実施された。三十八年には、給食未実施の小・中学校に対しても希望に応じて脱脂ミルクの給食が開始され、さらに僻地校に対してはインスタントミルク給食も開始された。脱脂ミルクは衛生的かという批判もあったが、問題なしとして続けられ、三十九年からは生乳と脱脂乳の混合ミルク給食も開始された。
 完全給食実施がままならない市では、三十八年に窮余の策として学校の親子給食を開始した。親子給食とは、「給食設備のある学校を親学校とし、ここから給食を実施していない学校(子)に毎日運んで給食実施校と同じものを食べさせる」(道新 昭38・5・28)もので、まず発寒小学校と新川小学校で開始された。三十九年、四十年と五組一〇校で実施され、親子給食は拡大していった。しかし親子給食は調理師、栄養士に負担がかかり「冷えてまずい」という子供の声もあった(道新 昭43・12・6)。四十七年、市の小学校の完全給食は、スタートしてから二一年かけて、ようやく完成した。しかし中学校では、四十七年二月の段階で市内四七校のうち、完全給食を実施しているのは五校のみであった(道新 昭47・2・3)