札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第八章 教育の民主化

第三節 戦後教育の岐路と地域の教育問題

二 地域住民の学校教育への意識

 陳情・請願の第三のピークである昭和三十六、七年は、学校の増改築とともに小学校の学校設備に関するものが多い。例えば三十五年にはプール建築が一〇件、三十六年にはプール建築と下水道、屋内体育館がそれぞれ一件となっている。
 学校設備の充実については、二十九年一月の東園小学校での校庭内のスケートリンク建築、三十一年の藤の沢小学校の小鳥の村開村、三十八年十二月の美香保小学校校庭の人工スケートリンク建築など、少しずつ充実してきたが、ここでは陳情・請願が多かったプール建築に焦点をあててみてみる。
 三十年代に入っても、市内で子供が自由に泳げるプールは中島公園の市営プールだけであった。三十二年六月に美香保小学校が、地面を掘り、板を張り付けてビニールで囲ったプールを建設したが、永久使用できるものではなかった。豊平川は汚染や流れが急であるという理由で遊泳禁止となっており、学校におけるプール建築は緊急を要していた。三十四年、市は教育施設一〇カ年計画の一つとして、翌年度からの一〇年間にプールを最小六カ所作る計画を立てた。予算は一カ所あたり二〇〇万から二五〇万円程度と見積もられた(道新 昭34・11・20)。この計画にもとづいて三十五年には東園小学校、三十六年には桑園小学校、幌西小学校にコンクリート製のプールが建築された。計画では小学校が優先されたため、三十七年には啓明中学校が、開校一五周年記念事業として寄付を募り、市からの補助も受けて鉄筋コンクリート製のプールを建設した(道新 昭37・8・2)。その後の中学校のプール設置状況は表8のとおりである。四十四年からはコンクリート製ではなく、鉄パイプを組み立ててビニールを張る組立造が採用されるようになった(道新 昭46・6・16)。完成までに短期間しかかからず、シーズンオフには取り外すことができるのが特徴であったが、一方で国からの補助がなく、付帯施設も含めて五五〇から六〇〇万円程度の費用がかかった。その後もプール建築は少しずつ進んだが、四十七年段階で市内小・中学校一六〇校のうち、プールがあるのは三六校にしか過ぎなかった(道新 昭47・8・13)。
表-8 中学校のプール設置状況(昭37~47年)
は循環式
鉄筋コンクリート造鉄骨造組立造
37啓明 手稲東
38琴似 石山
39月寒 中島
40手稲
41
42新琴似
43
44中央
45
46栄 
47発寒
『札幌市中学校教育三十年』(昭52)より作成。